サガン鳥栖はなぜJ2に降格したのか 8月の監督交代を分岐点に失われた「論理性」 (3ページ目)
それでも川井監督を解任し、「残留のみを目指す」と決めたのなら、その実績のある監督を登用すべきだった。「地元で愛されるOB」という看板は、真剣勝負の場では役に立たない。危急存亡の秋、完全に戦略を、論理を欠いていた。
京都戦後、敗れた鳥栖の選手たちの表情は、淡々としたものにも映った。それは必然だったかもしれない。1シーズン、ダイレクターや監督が更迭され、主力選手が多く入れ替わり、何の論理的解決策も示されず、船体に穴が開いていくなか、沈みゆく航海を続け、憔悴しきっていたはずだ。
これは仮説でしかないが、牧歌的で愛すべき存在だった鳥栖は、いつしか自分たちの戦い方を"呪い"に変えてしまったのかもしれない。
〈一丸となって戦う。汗をかいて、涙を流す〉
そんな懸命さだけでは、今のJ1は長いシーズンを戦えない。それでも、"あの頃はよかった"という懐古主義に心を奪われてしまう。そして川井監督の「論理」に物足りなさを、あるいは怒りを感じてしまったのではないか。
かつて、ユン・ジョンファン監督は鳥栖で一時代を築いた。その指導力に疑いの余地はない。しかし、あの成果を出せたのは結局、豊田という非凡なストライカーがいた(クロッサーに水沼もいた)のに加えて、彼のキャラクターが牧歌的だった鳥栖の風土と合ったからだろう(ちなみにセレッソ大阪では杉本健勇がキャリアハイの時、やはり水沼がアシスト役だった)。強度と粘り強さを軸にしたサッカーだけでは、ジェフ千葉時代(2020-22年)、J2でJ1昇格圏内にも入れなかったのが現実だ。
また、川井監督の前任だった金明輝監督も、「戦う」という原理に突っ走った挙句、暴言、暴力が問題視された。士気の高さ、という強度だけで立ち向かうのは限界があった。
「戦う気持ちが見えない」
そんな言葉を見聞きするたび、違和感を覚える。「戦う気持ち」の正体は何か。清々しかった戦いを呪いに変えてはならない。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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