サガン鳥栖はなぜJ2に降格したのか 8月の監督交代を分岐点に失われた「論理性」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【選手は監督で鳥栖を選んでいた】

 なぜなら、3年目の指揮となった川井監督は、誰もが納得する成績を出していたわけではないものの、選手を成長、覚醒させる手腕は瞠目に値した。今シーズンだけでも、長沼洋一(浦和レッズ)、手塚康平(柏レイソル)、河原創(川崎フロンターレ)、菊地泰智(名古屋グランパス)、横山歩夢(バーミンガム)......これだけの選手たちを有力クラブに送り出している。

 J1で1、2番手に低い資金力でそろえた選手が、川井監督が作り上げた仕組みのなかで、見違えるプレーをするようになった。いずれも伸び悩み、トップレベルで出場機会を満足に得られなかった選手ばかりだ(現在12得点のマルセロ・ヒアンは、横浜FC時代は3得点がやっとだった。川井マジックの恩恵を受けた選手で、新体制後はわずか1得点にとどまる)。

 恩恵を受けた選手たちが、「川井監督がいる限りは......」と在籍を続けていたが、チーム内はすでにキナ臭く、川井監督の解任、もしくは辞任を促すムードは、開幕連敗以来、ずっと立ち込めていた。今年4月、小林祐三ダイレクターが早々にクビを切られ、選手は決断を迫られていたはずだ。

「勝利を重ねるか、選手を成長させるか」

 それが世界標準の監督の評価であり、その点、川井監督を手放すことなど考えられなかった。

 たとえば、世界的な好評価を受けるスペイン人指導者、フアン・マヌエル・リージョだが、20代の史上最年少でサマランカを1部に昇格させた実績はあるが、それ以降は「常勝」には程遠い。しかし、彼を尊敬する関係者、指導者、選手は多く、引く手あまたである。現在はマンチェスター・シティでジョゼップ・グアルディオラの"三顧の礼"により参謀(ヘッドコーチ)を引き受け、辣腕を振るう。

 有力な選手が、「川井監督がいるなら」と鳥栖を選んでいたことは一縷の希望だった。川井監督のコンセプトは、誰が何を言おうと、魅力的だったのである。セレッソ大阪の元日本代表MF清武弘嗣も、川井監督のサッカーにひかれて入団したはずだ。

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