横浜F・マリノス、キューウェル監督解任の理由 「アタッキングフットボール」は消えた
なぜ、横浜F・マリノスのハリー・キューウェル監督は解任になったのか?
7月14日、本拠地の日産スタジアムで行なわれた鹿島アントラーズ戦で、横浜FMは4-1と勝利を収めている。逆転で獲得した勝ち点3だった。4得点を記録し、「アタッキングフットボール」を掲げるクラブのコンセプトにも沿っているように映った。だが......。
横浜F・マリノスは第23節終了時点で12位。解任されたハリー・キューウェル監督 photo by Toshio Yamazoeこの記事に関連する写真を見る 横浜FMの「アタッキングフットボール」は、2018年に監督に就任したアンジェ・ポステコグルーが植えつけている。
1995年、2003年、04年にJリーグ王者となり、2013年には天皇杯を制した横浜FMは、センターバックの井原正巳、松田直樹、中澤佑二といった系譜の選手を中心に、歴史的に堅牢なディフェンスを基調にしていた。そこにダビド・ビスコンティ、上野良治、中村俊輔のような天才を組み込み、久保竜彦のような天衣無縫のストライカーを擁したが、「負けにくい」守りに伝統のあるチームだった。
アタッキングフットボールを掲げたポステコグルーが、就任1年目で残留争いに巻き込まれたのは偶然ではない。変革には時間が必要だった。ハイライン、ハイプレスの超攻撃的プレーモデルは斬新で、サイドバックがMFのようにプレーメイクに参加。守備のリスクは高く、エキセントリックな戦い方のなか、選手を啓発しているようでもあった。
そして監督2年目、ポステコグルーはアタッキングフットボールを選手の力量やキャラクターにアジャストさせた。チアゴ・マルチンスがハイラインを統率し、マルコス・ジュニオールが前線のプレーメイカーとしてテンポを出す。その両輪が完成し、他の選手たちも戦術のなかで覚醒していった。
「ポステコはあまりしゃべるタイプではないんですが、何か言う時には引きつける力がありました。『この戦いをやっていこう』って、みんながなりました」
多くの選手の証言は共通しており、自分たちの戦いを信じられるようになった。
新しい横浜FMの夜明けだ。就任3年目はT・マルチンスのケガも含めた不調で、失点が急増した。しかし目くるめくパス交換からの攻撃は健在で、優勝したシーズンを上回る得点を記録している。そして4年目の途中、ポステコグルーは横浜で改革を果たし、スコットランドのセルティックの監督になるために旅立ち、暫定監督の後にはケヴィン・マスカットが監督に就任した。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。