Jリーガーから社長になって2年目 レノファ山口・渡部博文社長が語る「クラブ経営から見たサッカーの醍醐味」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【予算規模のなかでどう勝ち点を稼ぐか】

――志垣監督を選んだ決め手は?

「まずはサッカーの方向性が合致したのと、もうひとつは志垣監督の人間性ですね。たとえば彼からは、自分より年上で実績のあるコーチを招聘し、『フラットな意見を言ってくれる方と一緒にやっていきたい』という提案をいただきました。それは信頼関係を築いて指導をしていく上で重要な考え方ですし、選手ファーストな姿勢が言葉に表れていました」

――去年、監督を務めたフアン・エスナイデルもうまくはいきませんでしたが、ひとつの布石にはなっているように見えます。

「今まであった雰囲気を刷新する、というところでエスナイデル監督を招聘しました。試合ごとの修正能力はすばらしかったですね。感度は高い監督だったと思います。ただ、(日頃の練習から)準備のところで積み上げに時間がかかってしまい、これを継続することは難しいと決断しました。最終的に、選手が自発的に向かっていくというのが、自分はゴールだと思っています。だから、今いるメンバーの組み合わせで勝てる、その方程式じゃないですけど、そこまで導ける監督を求めました」

――そこを突き詰めた成果が出ているように見えます。

「レノファは過去5年、勝てない試合が続いていました。自分も2年はプレーヤーとして在籍し、渡邉晋監督(2021年)、名塚善寛監督(2021~23年)で、敵陣へのハイプレスと自陣から丁寧にボールをつなぎながらゴールに向かっていくスタイルを目指して......正直言えば、自分自身も選手として、そのサッカーにこだわりすぎたと反省しています(苦笑)。カテゴリーが変わり、みんなと目線を合わせるよりも、"まず下からボールをつないで"という美学のほうに寄ってしまったかなと。だから、この現象が起きたのは自分のせいだな、とも思いました。

 昨年は、この失点は自分のせいだ、とも責任を感じて、このままではダメだと気づき、今シーズンは予算規模のなかでどう勝ち点を稼ぐか、を徹底的に考えました。データを取りに行って、効率的に勝つところを突き詰めて......」

インタビュー(3)「渡部博文社長が考えるクラブの成長戦略」へつづく>>

■Profile
渡部博文(わたなべひろふみ)
1987年7月7日生まれ。山形県出身。山形中央高校、専修大学を経て、2010年、柏レイソル入団。その後、栃木SC、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、レノファ山口でプレーし、2022年、現役引退を発表。同年12月、レノファ山口FCの運営法人である株式会社レノファ山口の代表取締役社長就任が発表された。

プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。

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