興梠慎三が明かす札幌移籍と浦和への復帰を決めた理由「ミシャのためなら、自分の体が壊れてもいいぐらいに思っていた」 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Hiroki Watanabe/Getty Images

 周囲に生かされるタイプの興梠にとって、周りの選手たちとの連係は自らが活躍するための生命線である。しかし、その辺りの成熟は思うようにいかなかった。

「まずは(自分のところに)ボールが入ってこないと始まらない。アバウトなボールでもいいので、自分に(ボールを)入れてほしいというのは言っていたんですけど......。思ったとおりの展開は作れなかった。連係を深めて、攻撃の形を作るのが難しかったです」

 そんな興梠の言葉を聞いて、ふと思い出したことがある。2016年リオデジャネイロ五輪の日本代表にオーバーエイジ枠でメンバー入りした際、若い選手たちに彼が要求していた言葉と重なる。当時も「ミスしてもいいから、前にパスを出してほしい」と何度も選手たちに伝えていた。

「リオ五輪の時(のチーム)と札幌は似たような感じで......(五輪代表では)すでに完成されているチームにオーバーエイジとして入ったので、変に気を遣われたくないし、違いを出さないといけないと思ったので、個人的にはすごく難しかったです。

 それでも、みんなには『俺ら(オーバーエイジ)が主役じゃない。(主役は)おまえたちだから。みんなが気持ちよくプレーするためにサポートするから、何かあれば言ってこい』と伝えていて。結局、グループリーグを突破することはできなかったけど、試合内容的には悪くなかったと思います。

 札幌でも(同様に)攻撃面でサポートして、いい展開ができればと思っていたんですけど......。なかなかうまくできなかった」

 札幌ではボールをつなぐというよりも、セーフティーに前へ蹴る、それに合わせて興梠も裏へ走る、という感じになっていた。また、マンツーマンの守備をベースとしたショートカウンターでゴールを狙うサッカーは、運動量とスピードが求められ、興梠のプレースタイルは生かしにくい状況でもあった。

「札幌では、本当にいっぱいいっぱいでした。周囲を見て、何かを伝えるというよりも、自分のことで精いっぱい。僕はひとりで打開してゴールを決めるタイプではなく、味方と絡んで生きるタイプ。タテ一本の直線的な攻撃だと厳しかった。

 あと、4月にヒザの手術をして、ちょっとゲームから離れた時もあったので、それがなければもう少しチームに貢献できたのかなと思います」

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