興梠慎三が明かす札幌移籍と浦和への復帰を決めた理由「ミシャのためなら、自分の体が壊れてもいいぐらいに思っていた」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Hiroki Watanabe/Getty Images

 浦和に加入した興梠は、1トップを任された。鹿島では2トップだったので、求められる役割は鹿島とはまったく異なるものだった。

「(レッズでは)当初、(原口)元気が1トップをやっていたんですが、前でキープする形が作れなかったので、『(自分には)そういうのを求めている』とミシャに言われました。2トップとはまるで動きが違うので、日々勉強でしたけど、自分にはキープ力がなかったため、これをモノにすれば、自分のプレーの幅が広がるだろうなって思っていました」

 興梠は浦和に加入した2013年シーズン、33試合出場13得点という結果を残した。以降、毎年ふた桁ゴールを挙げて、2017年シーズンには33試合出場20得点というキャリハイの数字をマークした。

 翌2018年シーズンも15得点を記録したが、その後は故障などもあって、出場試合数、得点数ともに下降線をたどり、2021年シーズンには20試合出場1得点という結果に終わった。そしてその翌シーズン、札幌への移籍を決断する。

「もう一回、『勝負したい』という気持ちが強くて、『環境を変えたい』というのもありました。もしどこか行くなら、ミシャのところと決めていたので、そこは揺るぎなかったです。生半可な気持ちではなく、『ミシャのためなら、自分の体が壊れてもいい』ぐらいに思っていました」

 移籍を決めた興梠が思い描いていたのは、ペトロヴィッチ監督が率いる浦和時代の、強くて面白いサッカーだった。だが、イメージしていたものとは少し違った。

「(ミシャが)レッズにいた時は、相手がどう攻めてこようが自分たちのサッカーを貫くって感じで、札幌でもその姿勢は基本的に変わっていなかったんですが、攻撃で押しきるのが難しくて、攻撃よりも守備のほうにフォーカスしている感じでした」

 守備面で言えば、札幌はマンツーマンの守備を採り入れている。対人の強さが求められ、相手をマークし続ける。そのゆえ、体力の消耗は著しい。

「レッズの時は、ほとんど守備しなかったんですよ。うしろがうまく回してくれて、(自分は)前で張っているだけでよかった。パスが出てきたら、それをキープして展開していく。そこまで、運動量というか、体力は求められなかった。

 でも、札幌ではマンツーマンが基本。目の前の敵をマークすることが前提にあって、そこから攻撃する感じだったので、体力的にはキツかった。思うような攻撃パターンがなかなか実践できずに一年間が過ぎていった、という感じでした」

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