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井手口陽介が2度目の海外移籍から1年でJ復帰を決めたわけ「要は嫉妬です」「頭をガツンと殴られたような気がした」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・構成 text by Takamura Misa
  • photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

 むしろ、妻は僕以上に悔しい思いをしているのもそばで見ていたのに、自分は『またアカンかった』という現実に目を背けて"海外"にすがるのか? と。結果を残して、他の海外チームに求められての移籍なら話は別ですけど、結果を残せず、プレーする場所を自ら探しているような状態で"海外"を求めるのは『違うやろ』と思い、日本に戻ってやり直すことも考えるようになりました」

 そうして、選択肢を広げながら移籍先を探すなかで、井手口は今年の2月上旬、Jクラブで唯一、正式なオファーをくれたアビスパ福岡への移籍を決める。

"福岡"への移籍の決め手となったのは、小学生時代までを過ごした生まれ故郷で「縁を感じた」こと。移籍先を探り始めてから、自分には選択肢は多くないと実感していたこと。何より「一年間ほぼ試合に出ていなかった僕を必要としてくれた」ことへの感謝も大きかった。

「その時々の自分の気持ちに正直に決断してきたことやから、海外にチャレンジしたことにはまったく後悔はないです。もちろん、いろんな経緯があったにせよ、2回ともほぼ試合に出ていないわけで、周りは失敗と見るでしょうし、実際、そのつど描いた目標は実現できなかったと考えても、そう思われても当然だと思います。

 ただ自分としては強がりでもなんでもなく、そんな状況でも日本でずっとプレーしていたら気づかなかったなって思うことも、チャレンジをしたから見えたこともたくさんあった。だから、また次のチャレンジに向かえたんだとも思います。

 とはいえ、今の僕がサッカー人生のどん底にいるのは間違いないので。ここから自分を這い上がらせるためにも、とにかくシンプルに、ピッチに立ってプレーすることだけを考えようと思ったし、こんな状況の僕を求めてくれた福岡の思いに応えたかった」

 そうは言っても、期限付き移籍を決断するまでも、決断してからも「ずっと怖かった」と本音を漏らす。わずか1年でJリーグに戻ってきた自分を受け入れてもらえるのか。公式戦から遠ざかっているなかで、本当に福岡の期待に応えられるのか。不安は大きかった。

「中学生の時にガンバ大阪に所属して以来、日本のJクラブはガンバしか知らなかったですから。生まれ故郷とはいえ、福岡を離れて長かったし、知らない土地と言っても過言ではない場所でサッカーをするのも......海外のチームに行く時よりも断然、怖かった。

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