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槙野智章「ネットで書かれるのは、まったく何も感じない」アンチを黙らせるために結果を残してきた (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 勝てないことには理由があって、そのなかで『どういうことをすると調子が変わるのか』を感じることができた1年でした。それはサッカー以外の面でもそう。そこを知ってから引退できたことは、これから指導者を目指すうえでもよかったと思っています」

── その神戸も含め、17年間の現役生活では4つのクラブでプレーしました。それぞれの時間を振り返ってください。まず、広島時代で印象に残っていることは?

「広島は僕が生まれた街ですし、広島のアカデミーに育ててもらいました。その地元のクラブでトップ昇格できたことが、一番印象に残っていますね。

 トップに上がってからは、日本代表や海外移籍を目標にやってきて、それを実現させてくれたのも、広島というクラブです。そこは僕のキャリアにおける、ひとつのターニングポイントだったと思います。

 それに広島時代は、サッカーの面白さや楽しさを発信するところも意識してやってきました。ゴールパフォーマンスだったり、試合後の『サンフレ劇場』だったり。槙野智章というサッカー選手を世の中に知ってもらうきっかけが、そこには詰まっていたのかなと思います」

── 2011年にはドイツのケルンに移籍しましたが、約1年で終わった海外挑戦はどういったものだったのでしょうか。

「ドイツでは試合には出られなかったけど、ヨーロッパのサッカーを肌で感じられたし、異なるサッカー観を知ることもできました。トレーニングの強度だったり、選手の意識もそう。ひとつの勝敗の重みもそうですね。

 ふだんの練習から勝ち負けに対する貪欲さがすごいんですよ。本当にいろんなことを考えさせられました。『プロとは何か?』ということを教えてくれましたね」

── 試合に出られない時間をどう過ごしていたんですか。

「もちろんつらかったです。僕はそれまでアカデミー時代を含め、試合に出られない経験はほとんどなかったんですよ。

 だから、どうやったら出られるんだろう、どうやったらこの状況を打破できるのだろうか......ということをめちゃくちゃ考えていました。その経験がその後のキャリアにつながったと思っています」

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