5人交代制の恒久化でサッカー戦術は変化するか。「1トップ3人制」「セット替え」「セットプレーセット投入」など
試合中の戦術変更が可能に
6月13日にカタールのドーハで開かれた国際サッカー評議会(IAFB)の年次総会で「5人交代制」の恒久化が決まった。
2020年に新型コロナウイルスの世界的な流行(パンデミック)が発生したあと、選手の健康を守るために暫定的に採用された「5人交代制」が、パンデミック収束後にも維持されることになったのだ。
「5人交代制」によって試合の戦術的な幅は大きく広がった。多くの選手を入れ替えることによって、試合中の戦術変更が可能になったのだ。交代枠が広がったため、監督は早い時間帯から積極的に交代を使えるようになった。
5人交代枠を生かした複数選手交代は、Jリーグでも多く見られるようになったこの記事に関連する写真を見る その結果、「試合が面白くなった」と多くの人が感じたのではないか。「だから、もうあと戻りはできない」というのが今回の決定の背景にある。
もちろん「5人交代制」に対する批判の声もあった。「選手層の厚いビッグクラブが有利になってしまう」というのである。
IFAB総会直後の6月18日に行なわれたJ1第17節の川崎フロンターレ対北海道コンサドーレ札幌の試合では、2-2のまま迎えたゲームの終盤に川崎の鬼木達監督が相次いで交代カードを切って、マルシーニョ、レアンドロ・ダミアンという主力級FWを投入。
その結果、川崎は3点を連取して5-2で勝利。札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、試合後の記者会見の席で「5人交代制はビッグクラブに有利だ」と恨み節を展開した。
しかし、「5人交代制」をうまく利用すれば「逆に小さなクラブがビッグクラブに対して抵抗する方法も見出せるのではないか」という気もする。
英国生まれのフットボール競技では、昔は選手交代はいっさい認められていなかった。
試合中に選手が負傷しても交代できなかったのだ。だから、負傷した選手にプレーを続けさせるか、10人で戦うしかなかった。
1936年のベルリン五輪1回戦で強豪スウェーデンと対戦した日本代表の右サイドバック堀江忠男は、前半15分に右腕を骨折したが、そのまま最後までプレーを続けざるをえなかった。
1956年のFAカップ決勝で、マンチェスター・シティのGKバート・トラウトマンは首を負傷したのだが、痛みに耐えて試合終了までプレーを続けてチームの勝利に貢献した。しかし、試合後の検査でトラウトマンの首の骨が折れていたことが判明した。
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