アルシンドが選んだ自身のベストゴールと日本のベストプレーヤーたち。「カズは外せない。井原は頭痛の種だった」 (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【日本で初めて有名人になった】

 私の日本での日々は大きくふたつの時代に分かれていたと思う。最初の頃は、ほとんど誰も私のことを知らなくて、よく町を自転車に乗って回ったものだった。町を散策し、道端の自販機を眺め、店を冷やかし、少しずつ日本という国を学んでいった。

 その後、顔が知られるようになってからは、そんなことはできなくなった。一歩外に出ようものなら、みなにサイン攻めにあうからだ。好きなレストランでの食事もままならなくなって、家にいることが多くなった。大騒ぎになって自分のせいで何度も飛行機を遅らせたのも覚えてるよ。

 そう、一度こんなことがあった。鹿島での試合のあとに、何かの撮影のために東京に行かなくてはならない時があったんだけど、道路が大渋滞している。ところが私は、途中で無性にトイレに行きたくなってしまった。どうしようもなくなって、最後は車を路肩に停めてもらったんだ。ところが車を降りると、周囲の渋滞中の車が私を見つけて、みんなカメラを向けてくる。切羽詰まっていた私は本当に焦ったよ。その後どうなったかは、ここでは話したくないね。

 信じられないこともいっぱいあって、有名人というのは大変なんだということを初めて知った。それまで私は、有名になろうなんて思ったこともなかったのに、気がつけば日本でも指折りの有名人になっていた。その状況に慣れるまでには時間がかかったよ。

 もちろん、私がうれしかったのは有名になったことではなく、多くの日本人に愛してもらったことだ。ひとつのチームのサポーターだけでなく、すべてのチームのサポーターに、いや、サッカーファンだけでなく、すべての日本人が私を愛してくれた。日本で私がいいプレーをできたのは、その愛の力が大きいと思う。より日本サッカーに貢献したいという気持ちにさせてくれた。すべてはうまく作用してお互いに幸せになれた。今では私が日本と日本人のナンバー1のサポーターだ。

 皆さんがアルシンドと聞いてまず頭に浮かぶのは、アデランスのCMかもしれない。「トモダチナラアタリマエ」のフレーズは本当に有名になって、一世を風靡したけど、今回は特別に、そのフレーズの誕生秘話を紹介しよう。

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