玉田圭司が印象に残っている4人の名監督。「たまに練習に入ってきて、とんでもないボレーを決める」監督も (3ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi
  • photo by Getty Images

【応用力を持った選手を育てたい】

 ゲーム全体を見て、チームのプレースタイルを考える。ただし、ピッチ上でそれを表現するのは選手たちだ。もし玉田が、本格的に教える立場になったなら、どのように選手を育てていきたいと考えているのだろう。

「この時代、わがままなことをする人がすごく減りましたよね。言われたことだけやっていればいいとか、人と同じことをしていればいいみたいに。目立つのを嫌うような風潮があると思うんです」

 たしかに現在のスポーツ界は、かつてのように大胆な言動をする人が少なくなった。 ただしサッカーでは、選手がピッチに立てば、ほかとの違いを見せる必要がある。さもなければ、高いレベルで生き残っていくことはできない。つまり、個性を消すのではなく、個性を際立たせなければならない。

「選手は、主張したり、わがままだったりしてもいいと思うんです。自分はそうだったし、最後まで貫いてきました。だからもし指導者になったら、個性を尊重したいですね。おとなしい選手の多い今の全体的なムードを、できるかぎり変えたい。それこそ、(フリスト・)ストイチコフや(ディエゴ・)フォルランから受けた影響もあると思いますが、やはり選手は自己主張できたほうがいい。

 結局、ピッチに立つのは選手なので、監督に言われたことだけをやるのではなく、それぞれの状況で選手が考え、問題を解決していくことが重要だと思います。応用力をもって、監督を驚かせるぐらいに」

 しばしの休養のあとに、玉田がそんな選手を育て、面白いチームをつくる姿を見てみたい。
(おわり)

玉田圭司
たまだ・けいじ/1980年4月11日生まれ。千葉県浦安市出身。市立習志野高から99年に柏レイソルに入団。06年からは名古屋グランパスでプレーし、チームのリーグ初優勝に貢献。その後15年からセレッソ大阪、17年から名古屋、19年からV・ファーレン長崎でプレーし、2021年シーズンを最後に引退した。J1通算366試合出場99得点。J2通算164試合出場34得点。日本代表はAマッチ72試合出場16得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯メンバー。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る