玉田圭司が影響を受けたストイチコフ、フォルランら。ミスしても「もっといいパスを出せよ、みたいな図太さがあった」
玉田圭司 引退インタビュー 前編
日本サッカー界から、またひとり名手がピッチを去った。2006年ドイツW杯、10年南アフリカW杯のメンバーで、レフティーのアタッカーとして唯一無二のプレーを見せてきた玉田圭司が、2021シーズンを最後に現役引退。引退にあたって、これまでの現役生活を振り返ってもらった。
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【一生もののゴール】
「(現役を退いた)実感は湧いていないですね」
V・ファーレン長崎での引退会見から日にちが経ち、千葉の自宅に戻ってきた玉田圭司は、その会見でも話したことを口にした。
「現役時代もシーズンが終わると休みに入りますよね。今はその頃と日常が変わっていないですから」
画面越しに彼の姿を見ると、まだまだプロを続けられたようにも思える。だが、今季は出場機会が激減し、それが「選手として一番辛かった」と言う。もとより「限界までやりたいとは」考えていなかった41歳のレフティーは、周囲の惜しむ声を聞きながら、23年間の現役生活に終止符を打った。
その長いキャリアにおいて、ファンの印象にもっとも残っているシーンと言えば、2006年のドイツW杯でブラジルを相手に奪った先制点だろう。三都主アレサンドロのスルーパスに抜け出し、名手ジーダの守るゴールのニアサイドを撃ち破った衝撃的な一発だ。世界中のフットボールファンが見たはずのゴールは、玉田にとっても「一生もの」。しかしその瞬間は、鮮明には覚えていないと言う。
「考えて、というより、自然に体が動いたんです。アレックス(三都主)とはもともと仲がよくて、彼のボールの持ち方で次のプレーがわかったこともありました。シュートは瞬間的にニア上を狙ったんだと思いますけど、今となってはちょっとわからないですね」
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