大久保嘉人が語る高校サッカーの想い出と小嶺忠敏の指導法。「当時の国見には人間性がダメな選手なんていなかった」 (4ページ目)

  • 松尾祐希●取材・文 text by Matsuo Yuki
  • photo by AFLO

【今まで以上に楽しんでほしい】

――ふらふらの状態だったんですか?

「試合前はきつかったですね。ただ、試合が始まったら全く気にならなかった。試合後も4点とったのでキツくないし、熱も下がってました(笑)。もし病院が開いていなかったら、どうなっていたかわからない。まあ、あの時は、熱があっても試合に出ると言った以上はやるしかないし、選手権で迎える九州対決も負けられないから、試合に対する気持ちも違ったのかもしれません」

――準決勝で初めて国立競技場のピッチに立った時の心境はどうでしたか?

「相当うれしかったですね。でも、準決勝で負けたら意味がないという想いも全員にありました。だからとにかく必死でしたね」

――迎えた決勝では、初めて超満員のなかでプレーをしました。ピッチに入った時の気持ちはいかがでしたか?

「やってやろうという気持ちが強かったのは覚えていますね。あれだけのお客さんが入っていてテンションも上がっていましたし、あとはみんなで楽しむ。そういう感じで決勝に挑みました」

――楽しんだ先にあった優勝だったと。

「決勝まで行けばそういう気持ちでプレーするだけで、自分を信じるだけでしたから。選手権は3年生にとって最後。流石に国見にとって8年ぶりの優勝でもあったので、最後は先生の胴上げもできました。すんなりさせてくれましたね(笑)」

――高校サッカーで頑張ってきたことは、プロに入ってどう生きましたか?

「苦しい練習などを一緒に乗り越えてきた仲間とは今でも仲がいいですし、関係はプロになっても続いています。妥協しないことだったり、精神的な強さは本当に身につきましたね。心が折れそうな出来事があっても乗り越えられたのは、国見での経験があったからこそですよ」

――では最後に、今回の選手権を戦う選手たちに、メッセージをお願いします。

「みんなが目指していた舞台に出られる以上は、今まで以上に楽しんで輝いてほしい。テレビ中継もあるし、いつも以上に友だちとかも見ているはずなので、憧れの舞台で輝くプレーをしてほしいですね。どのチームも苦しい練習をやってきたと思うし、コロナ禍で学校も大変だったと思うので、より楽しんでプレーしてください」

大久保嘉人
おおくぼ・よしと/1982年6月9日生まれ。福岡県出身。国見中学、国見高校と進み、3年時には全国高校サッカー選手権で優勝。8得点を挙げ、大会得点王を獲得した。卒業後セレッソ大阪でプロキャリアをスタート。以降、マジョルカ(スペイン)、ヴィッセル神戸、ヴォルフスブルク(ドイツ)、川崎フロンターレ、FC東京、ジュビロ磐田、東京ヴェルディでプレー。川崎時代の2013年から3年連続でJ1得点王に輝くなど、Jリーグ歴代最多の191得点を記録。日本代表ではU-23代表でアテネ五輪、A代表では10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯に出場。21年に15年ぶりにC大阪へ復帰してプレーし、今シーズンを最後に現役引退を表明した。

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