大久保嘉人が語る高校サッカーの想い出と小嶺忠敏の指導法。「当時の国見には人間性がダメな選手なんていなかった」 (3ページ目)

  • 松尾祐希●取材・文 text by Matsuo Yuki
  • photo by AFLO

【熱が出た日に4得点】

――3年間で最後の1年は、インターハイ、国体、選手権と3冠を達成しました。

「負けた記憶があんまりないですね。本当にちょっと思い出せないぐらい」

――スタートの時点から手応えはあったんですか?

「実は1年生の時は、先生から『国見史上最弱』と言われていたんですよ。新チームになってすぐの九州新人戦で優勝した時も、自分たちが強いのかわからなかった。ただ、みんなの仲もよかったし、戦える選手ばかりでチームとしてのまとまりもよかったです。戦っていくなかで『俺たち強いかもね』となって。本当に自信を得たのは、夏のインターハイですね。ここで優勝したことで、『俺たちは強いぞ』と思うようになりました」

――それだけ勝ち続けていて、緩みなどはなかったのですか?

「自分たちでも気を引き締めたり、勝った試合のあとでも先生から怒られることは結構ありました。特に覚えているのはインターハイで優勝した時ですね。久々に国見が全国優勝したので、『先生は何年も胴上げされていないからやろう』となったんです。そうしたら、めちゃくちゃキレられたんですよ(笑)。『お前ら優勝しただけで、調子乗るんじゃない』って。そのあとの国体で優勝しても褒められなかったですからね」

――最後の選手権は、どんな考えで臨みましたか?

「自分たちの代で優勝したいという想いもあったし、この舞台で輝きたいというのもあった。今でも忘れられない大会ですね。久々に国見に優勝をもたらしたい気持ちもありましたし。いつもどおりの状態で大会には入りました」

――思い出に残っている試合はありますか?

「決勝が一番ですけど、それまでに実はいろいろあったんですよ。日章学園(宮崎県)との3回戦の前、実は歯を痛めて高熱を出してしまったんです。でもお正月だったので、病院はどこもやっていない。これはまずいなと思っていたら、試合の日の朝一番で開けてくれた病院があって。

 ただ熱は下がらなくて、先生から『嘉人、お前どうするか?』って言われたんですけど、選手権だから休むわけにはいかない。だから『やります!』って言って、その試合で4点とったんですよ。この試合のゴールがあったから大会得点王になれたので、今思えば休まなくてよかったですね」

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