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横浜F・マリノスの前田大然「自分はうまい選手じゃない」。驚異のスピードで走り続ける理由 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by スポニチ/アフロ

 まるで野生児のようだが、自然環境で育まれた走力と体力が前田のプレーのベースになっている。実際、その特徴は数字からも見てとれる。Jリーグはスプリント回数という、1試合で時速24km以上で1秒以上ダッシュした回数のデータをとっている。前田は、1試合64回というスプリント回数トップの記録を持つ。10位内で言うと4位の古橋亨梧(ヴィッセル神戸/現セルティックス)、7位の小泉慶(サガン鳥栖)以外は、すべて前田の名前で占められている(10月22日現在)。

「スプリントの回数は、最初は意識していませんでしたが、サポーターからJリーグ公式のスプリント回数のデータが送られてきたんですよ。それを見てからですね。今は、どうせなら10位まで全部、自分の名前で埋めたいと思っています」

 外見の特徴でいえば、スキンヘッド、整えられたヒゲもアイコンになっている。

「頭は、以前は試合の前日に剃っていましたけど、今は2日に1回、かみそりで剃っています。ヒゲも整えていますし、足も脱毛しています。肌は年とってんなぁと言われるけど、けっこういい化粧水を使ってケアしています。匂いも気になるので、いい香りをつけていますね。もともと自分はきれいに見せたいというのがあるので、美意識は高いと思います」

 サッカーも自分を魅せるところにも手抜きはない。前田らしいこだわりである。

 スプリントの回数に見られるように、前田のプレーは、スピードとフィジカルが生命線だ。それは他チームに警戒され、相手は対策を講じてくるようになった。

 だが、相手の脅威となる存在になるまで、前田は順風満帆できたわけではない。山梨学院高校時代にスピードを活かしてゴールを量産し、松本山雅FCに入団した。ところがチームでは自分のよさを活かせず、1年目は9試合無得点という結果に終わった。翌年、水戸ホーリーホックに移籍し、西ヶ谷隆之監督の下でプレーした。

「水戸への移籍は大きかったです。そこで、自分は初めて試合に出ることの楽しさ、厳しさ、いろんなことを感じることができた。監督には感謝しかないですね。僕より試合に出てもいい選手がいるなか、自分を成長させるために我慢強く、試合に出していただきました」

 水戸で試合に出て実戦経験を積めたことは大きかった。だが、一番の収穫は、自分のよさを再認識し、ストライカーとしての自信を取り戻せたことだった。

「高校の時はたくさんゴールを決めていたけど、プロ1年目は点がとれなくなったんです。ゴールの嗅覚はあるはずなのに、それを出せなくて......。水戸で点がとれるようになって、自分はこういうスタイルの選手だと再認識できました。小学校の時から独自の得点パターンで点をとってきましたが、それが自分の持ち味なんだというのを改めて感じることができたので、それはすごく大きかったですね」

 水戸というチーム、そして西ヶ谷監督との出会いが前田を成長させてくれた。人との出会いで人生が変わることはアスリートの場合よくあることだ。前田がプロサッカー選手として結果を出すべく日々努力しているのは、そうした人への感謝の気持ちを忘れずにいるからでもある。

「今の自分があるのは、いろんな人の支えがあるからだと思います。特に家族の存在はすごく大きいですね。自分は嫁さんだけではなく、両親にたくさん迷惑をかけてきた。特に、母はだいぶ泣かせたというか、僕のために涙を流してきているし、ずっと応援してくれてきた。そこに対してはもう感謝ですね。僕は、両親だけではなく、嫁さんや子供はもちろん、自分に関わる人はみんな家族だと思っているので、そこはこれからも大事にしていかないといけないと思っています」

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