中村憲剛と佐藤寿人に聞いた「増加する若手の海外移籍」どう思う?
中村憲剛×佐藤寿人
第2回「日本サッカー向上委員会」@前編
1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。 2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」、第2回は若い世代の海外移籍について語ってもらった。
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中村憲剛氏と佐藤寿人氏が本音を出し合うスペシャル対談この記事に関連する写真を見る---- 若い選手の海外移籍が年々増えています。Jリーグ、日本サッカー界にとって、よくも悪くもさまざまな影響がある状況になっていると思いますが、今回は「若手の海外移籍」について、おふたりの意見を聞かせていただければと思います。
まず、おふたりは国内のキャリアだけで引退されましたが、海外移籍の可能性はあったのでしょうか?
中村 ちょっと考えたのは2010年のワールドカップが終わった時。7月、8月とその年末だけでしたね、海外移籍を考えたのは。
---- 具体的な話はあったのですか?
中村 7月にオランダのPSVから、正式オファーではなく打診がありまして。
佐藤 その時はまだ20代でしたよね?
中村 29歳だね。30になる手前だったので、その年齢の選手に打診があること自体、日本人バブルだったなあと今でも思う。2010年は南アフリカW杯のあった年で、前後にちょうどみんな海を渡り出した頃。僕もテンションが上がって、オランダ語の家庭教師さんを雇ったりして。
佐藤 調べました、オランダのこと?
中村 今も昔も4−3−3でやるところは変わらないし、当時はアヤックスとか、PSVも見ていたしね。
佐藤 じゃあ、ある程度は情報が入っていたわけですね。
中村 すごいワクワクしていた記憶があるよ。ただ、あの時は同時に(チョン)テセ(町田ゼルビア)も(川島)永嗣(ストラスブール)も移籍が決まった状態で(テセはドイツのボーフム、川島はベルギーのリールセに移籍)、クラブからは、このタイミングでは行かないでほしいと言われて。
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