J以前に来日したブラジルの英雄。「ジーコは美味しいとこ食ったな」
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第13回オスカー(後編)>>前編を読む
3回のW杯に出場した元ブラジル代表主将のジョゼ・オスカー・ベルナルディ。オスカーは1986年メキシコW杯の翌年、日本にやって来た。横浜F・マリノスの前身、日産でプレーをするためだ。日本ではまだJリーグはスタートしておらず、サッカー人気が高いとはとても言えない時代の話だ。
「ほとんどのサッカー選手は、日産やその他の企業の社員であり、日中の業務が終了した後に練習に来ていた。私にとってこれは驚きであり、15年間ハイレベルのプロとしてプレーしてきた私には、なかなか受け入れられないことだった。私はできるだけプロらしい環境を作れるよう、懸命に努力し、彼らを助けた。
外国人選手も少なく、私の周囲はほとんど日本人選手だった。そのため仕事は本当にハードだった。あれは今でも決して忘れられない経験だ」
彼が日本でプレーするようになったのはジーコよりも早かった。
「ジーコは私がプレーした4年後に、やっと日本にやって来た。私は冗談まじりにいつも彼にこう言うんだ。『私が苦労して土台を作りあげたところでお前はやって来て、美味しいとこだけを食ったな!』とね。もちろん、本気でそう言っているわけではない。ジーコは日本のサッカーを、誰もできないほど革命的に変えた存在だ」
オスカーは1989年まで日産でプレーし、リーグ優勝や天皇杯、JSLカップを勝ちとった。そして引退したのちは日産のたっての願いを聞いて、今度は監督としてチームを率いることになった。
現役引退後は日産の監督に就任したオスカー。左は木村和司photo by Yamazoe Toshio「私は多くのすばらしい人々と知り合いになった。チームメイトたちは、私にとっても家族にとっても、本当の友人になった。しかし、中でも加茂周との出会いは特別だった」
オスカーは後にそう語っている。あまり知られていない、オスカーの日本への貢献を紹介しよう。皆さんは呂比須ワグナーを覚えているだろうか。ブラジルから日本に帰化し、日本代表としてプレーし、日本人に愛された選手だ。実は彼が来日するきっかけを作ったのは他でもないオスカーだった。
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