2021.01.18

CMにも登場した人気者ブラジル人FW。親子2代で鹿島に所属

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

 ところが、本拠地に名古屋を迎えた開幕戦でジーコのハットトリックをお膳立てし、自らも2得点して5−0の勝利に大きく貢献。その後もゴールを量産して鹿島の1stステージ優勝の立役者となり、一躍注目を集める存在になった。

 明るいキャラクターで、アルシンドはたちまち人気者になった。だが一方、ピッチではたびたび烈火のごとく判定に猛抗議し、イエローカードを受けることも珍しくなかった。

 1993年8月7日の横浜M戦では、ジーコにイエローカードを出した主審にブチギレ。審判のお腹にボールをグイグイと押しつけ、それが「審判侮辱」と判断されて2試合の出場停止となる。さらに試合後、審判控室に乗り込んでクレームをつけ、プラス2試合の計4試合の出場停止になった。

 スピードがあって足もとのテクニックも高く、DFラインの裏や空いたスペースを狙う動き出しでボールを引き出してゴールを決める。その決定力で鹿島在籍の2シーズンで50得点をマークした。だが、年俸面で折り合わずに1995年はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)に移籍する。

 その1995年には、貴重なゴールも生まれている。それまでは「頭は考えるために使うもの。でも、必要な時は使う」と笑わせていたアルシンドが、8月16日の横浜M戦でJリーグ通算60ゴール目を初めてのヘディングで決めたのだった。

 このシーズンも38試合19得点と活躍し、V川崎の1stステージ2位、2ndステージ優勝に貢献。しかし、再び契約更新でクラブと揉めて退団となる。

 1996年は当時JFLだったコンサドーレ札幌(現在の北海道コンサドーレ札幌)でプレーすることになった。だが、4月末の試合では審判に「バカ!」を15連発して4試合出場停止を食らうなど、フラストレーションを溜めてシーズン途中に退団。コリンチャンスやフルミネンセでプレーしたのち、1997年は再びV川崎と契約して16試合10ゴールをマークした。

 その後のアルシンドは1998年にフルミネンセ、1999年にカポフリエンセ、2000年にCFZでプレーし、現役を引退した。