世界一のチームからJ草創期の清水へ。名DFが振り返る「心境の変化」
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第12回ロナウダン(前編)>>後編を読む
1994年から2シーズン、清水エスパルスでプレーしたロナウダン photo by Yamazoe Toshio ブラジルには「ロナウド」という名の有名なサッカー選手が3人いる。フェノメノこと偉大なストライカーのロナウド。背番号10を背負い、その華麗なプレーで世界を魅了したロナウジーニョ。そして、ロナウダン(ブラジル代表での登録名。清水エスパルスでの登録名はロナウド)だ。他の2人に比べて知名度では劣るが、彼ら同様に優秀で世界チャンピオンの称号を手にしている。
3人の中で唯一、日本でプレーしていたのがロナウダンだ。ブラジルきっての有能なDFで、すべての監督は彼のような選手を持つことを夢見るだろう。
ロナウダンはプレーしたすべてのチームで守備の要だった。ピッチの内外で誠実であり、責任感の強いキャプテンであり、なにより聡明だった。ブラジルでは、どんな話題でも語れる数少ないサッカー選手だろう。向上心の塊で、いつも多くのことを学ぼうとしている。
精神的にも強く、集中力に優れ、またフィジカルも強い。身長は約190センチで、彼と競り合って勝てる選手はそうそういない。
ロナウダンは守備だけでなく攻撃も得意だった。素早く前方に上がり、その背の高さを利用してヘッドでゴールを狙った。DFでありながら生涯で22ゴールを決めている。
多くのチームを渡り歩く選手が多いブラジルで、ロナウダンが所属したチームは全部で7と少ない。彼の誠実さを物語るものであろう。そしてどのチームのためにも、常に全力で貢献した。
サンパウロではライー、トニーニョ・セレーゾ、カフー、レオナルドやミューレルとともにプレーした。フラメンゴではロマーリオやサヴィオのチームメイトだった。
ロナウダンの出身はリオ・プレトというサンパウロ州北部の町だ。その彼が1991年、地元チームから移籍したのは、当時ブラジルで最強を誇っていたサンパウロだった。チームにはすでに名を馳せた優秀なDFがたくさんいた。ロナウダンはまずレギュラーの座を勝ち取る戦いから始めなければならなかった。
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