2020.08.28

元名古屋トーレスの変わらぬ日本愛。
「縁の下の力持ちとして支えたい」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 トーレスはブラジル人サッカー選手には珍しく、落ち着いて物静かな人間だ。彼が日本で居心地が良かったのは、自分と似た人たちに囲まれていたからかもしれない。

「日本ではチームの仲間以外にも多くの友人ができた。家の近所に住んでいた家族ともとても仲良くなった。"ウエダさん"を今も覚えている。うちの子供たちはよく遊んでもらっていたよ。彼らのおかげで日本に早くなじめるようになった」

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 トーレスは1999年まで名古屋でプレーし、最後の年には優勝はできなかったが、2位(セカンドステージ)につき、2度目の天皇杯も勝ちとった。しかし最終シーズンのスタートは難しかったという。

「私はピッチでいいスタートを切れなかったし、新しい監督(ダニエル・サンチェス)とは分かり合えなかった。チーム自体のプレーも良くはなく、その後、監督が変わった。しかしチームやチームメイトは私をリーダーとしてくれた。しばらくすると私はまたいいプレーができるようになり、チームも結果が出せるようになった。最後にはいい終わり方ができたよ」

 名古屋とトーレスの蜜月もついに終わりがやって来た。

「私の古巣であるヴァスコ・ダ・ガマが、2000年1月に行なわれる初のクラブワールドカップに向け、強いチームを作りたがっていた。そして私にとてもいいオファーをしてきた。私はその時すでに33歳。名古屋との間に契約更新の話はなく、日本の他のチームではプレーしたくはなかった。グランパス以外のユニホームは着たくなかった。それならば日本ではもうプレーは続けられない。

 ヴァスコのオファーを受ければ、クラブワールドカップで、マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリードを戦うことができるかもしれない。だから、心が張り裂けそうになりながらも、私は日本を離れる決意をした。

 ただし、日本を去っても生涯の友情は残った。私の魂の一部は名古屋に残してある。チームのために私は全身全霊でプレーした。タイトルを勝ち取り、少なくとも3年間は日本を代表する三指に入るチームだった。グランパスを簡単に破れるチームは存在しなかった。チームをそこまで導くことができたので、私は心静かにブラジルに帰ることができた」