「ゆりかごダンス」のベベットは政治家に。秋葉原で買ったPCの思い出 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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「昨日のヴァスコ・ダ・ガマ戦の結果を、君の社に電話して聞いてくれないか?」

 私が「電話するよりもいい方法がある」と言うと、彼は私を部屋に招いてくれた。私は仕事用に小さなパソコンを持っていた。私は彼の部屋でモデムを使い、インターネットにつなぎ、パソコンの画面にブラジルの新聞を呼び出して見せた。ヴァスコ・ダ・ガマは勝利していた。

 ベベットが大喜びしたのは、その結果よりも、インターネットのほうだったかもしれない。なぜなら、その後たっぷり2時間、彼はネットについて私を質問攻めにし、数日後、秋葉原に行ってノートパソコン2台を購入したのだ。その時の友情は今もまだ続いている。

 1989年のコパ・アメリカ、1994年のW杯、1997年のコンフェデレーションズカップのほか、ベベットはブラジルで唯一、2つのオリンピックでメダルを勝ち取っている。1988年のソウル五輪での銀メダルと1996年のアトランタ五輪での銅メダルだ。

 ベベットはそのサッカー人生で、ヴィトーリア、フラメンゴ、ヴァスコ・ダ・ガマ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)、セビージャ(スペイン)、クルゼイロ、ボタフォゴ、トロス・ネサ(メキシコ)、鹿島アントラーズ、アル・イテハド(サウジアラビア)の10のチームでプレーしている。合計で387本のゴールを決め、その多くが重要なもので、これらチームに多くのタイトルをもたらした。

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