現役バリバリ度MAXで来日。レオナルドの活躍とNo.1ゴールは色あせない (2ページ目)

  • 中山 淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

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 翌94年の春には、初めての海外取材となったブラジル出張で再会。モルンビー・スタジアムで行なわれたサントス戦のキックオフ直前に、ピッチ上で彼にショートインタビューをする機会に恵まれた。当時、すでにセレソン(ブラジル代表)の主力としてW杯出場が確実視されていたレオナルドには、そのルックスも含めてスター選手のオーラが満ち溢れていたことを、いまでもよく覚えている。

 その夏、レオナルドは94年アメリカW杯でセレソンの左サイドバックのスタメンとしてプレー。決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で退場処分を受けたために、残りの試合は出場停止となったが、ブラジルが24年ぶりの世界一に輝いたあとも、彼の評価が失墜するようなことはなかった。

 そんな右肩上がりだったワールドチャンピオンの一員が、まだ始まって間もない極東の小さなプロリーグでプレーすることになろうとは、一体誰が予想しただろうか。

「かつて僕がプロキャリアをスタートさせたフラメンゴで活躍していたのがジーコだった。自分が憧れていたスーパースターから誘われたのだから、迷いはなかった」

 のちにレオナルドは来日した理由についてそう話したが、彼を熱心に誘ったジーコは入れ替わるようにして、その年の7月23日に行なわれたオールスター戦でのプレーを最後に現役引退。後継者の加入が、その決断の背景にあったとしても不思議ではない。

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