来日の夢が叶ったベガルタ仙台シマオ・マテは「地下鉄に驚いた」 (2ページ目)

  • 井川洋一●構成・文 text by Igawa Yoichi
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 10代で母国を離れ、パナシナイコス(ギリシャ)、山東魯能(中国)、レバンテ(スペイン)、アル・アハリ(カタール)でプレーしてきたシマオは、2019年1月に仙台に加入。チャンピオンズリーグやラ・リーガといったトップレベルを肌身で知る彼が、日本を選んだ理由は何だったのだろうか。

「じつは(山東に所属していた)6年前にも、日本行きの話があったんだ。その時は結局スペイン行きのオファーを選んだわけだけど、うちの奥さんが日本にすごく行きたがっていてね。彼女はイタリア人で、僕がギリシャでプレーしていた時に知り合ったんだけど、イタリアでもギリシャでも日本食はすごく人気があるんだ。

 妻は日本の文化についても詳しくて、その後も『シマオ、日本のクラブから正式なオファーを受けたなら、挑戦しましょうよ!』とよく言っていた。それにここ何年も、世界中が日本の好印象を語り続けている。僕も日本には興味を抱き続けていた。それは僕ら夫婦の夢だったと言ってもいい」

 柔和な表情でシマオは続ける。

「つまり、この移籍で6年越しの夢が叶ったんだ。もちろん、妻だけでなく、僕も日本に来てみたかった。当然、成功する保証はどこにもなかった。でもまずは行ってみて、チャレンジしたいと思ったんだ。

 プロのサッカー選手の多くは(シマオは外国人に珍しく、この競技を日本やアメリカで通じるサッカーと呼ぶ)、新しい挑戦を得ることで、モチベーションを維持したり、高めたりしていると思う。僕も挑戦が大好きだ。自分のキャリアはそうやって形成されてきた。若くして欧州へ渡り、異なる国や文化に飛び込んできたんだ。どこに行っても外国人ではあるけど、その分、面白い経験もできる。オープンマインドにもなれるしね」

 独特の節と間に英語を乗せ、にこやかにシマオは語り続ける。ただ初めての日本の生活に慣れるまでには、相応の時間がかかった。5月末までの13節で先発3試合(出場5試合)と、それはピッチ上の数字にも表れている。

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