2020.01.05

坪井慶介は引退してタレントの道を目指す。
「大食いは巻に任せます」

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

坪井慶介インタビュー@後編

 18年にわたった坪井慶介のキャリアを振り返る時、「日本代表」というキーワードを抜きには語れない。

 青いユニフォームとは縁遠かった無名のディフェンダーが、同い年の黄金世代の選手たちに肩を並べたのは、プロ2年目の2003年の時。ジーコ監督率いる日本代表に初招集された。

「坪井慶介インタビュー@前編」はこちら>>>

坪井慶介に18年間の現役生活を振り返ってもらった「代表に入って日の丸をつけることは想像していなかったですね。アンダー代表の経験もなかったし、疎遠だったので。初めて呼ばれた時は、非常にうれしかったですね。日の丸を背負ってサッカーをするんだ、という責任感を初めて知りました」

 日本代表の活動では、クラブとは異なる刺激を受けたという。

「当時は海外に行く選手が増えてきた頃。代表に行って、海外組の選手と練習したり話したりするのは楽しかったですね。日本しか知らない僕にとっては貴重な存在でした」

 彼らと接するにつれて、海外移籍を目指した時期もあった。

「チャレンジしたいな、という想いもあったんですけど、当時は代理人がいなかったので。そう思った時期に大きなケガをしたこともあって……。それも運命だったんでしょうね」

 坪井の日本代表でのキャリアは、2003年からドイツ・ワールドカップまでの4年間に凝縮されている。つまり、ジーコ監督が率いていた頃である。

「ジーコさんは、あまり細かいことは言わずに、選手たちに考えさせてやることが多かったですね。守備のことで事細かに指示を受けた記憶はないです。ただ、ジーコさんはずっと呼んでくれていたし、恩返ししたいという気持ちが強かった。好きな監督でしたよ」

 もっとも、目標としていたドイツ・ワールドカップは、坪井にとって苦い記憶として残っている。

「たくさんの悔いが残る大会でした」

 悲劇が起きたのは、初戦のオーストラリア戦だった。後半早々に足の4カ所が一気に痙攣し、途中交代を余儀なくされたのだ。