坪井慶介が振り返る現役時代。オフト監督との出会いが運命を変えた
坪井慶介インタビュー@前編
またひとり、日本サッカー史を彩った名手がスパイクを脱ぐ決断を下した。
坪井慶介、40歳。
浦和レッズの黄金期を支え、ジーコ監督率いる日本代表でも活躍。晩年は湘南ベルマーレに籍を移し、2018年からプレーするレノファ山口FCが最後のクラブとなった。
2019年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだ坪井慶介 2002年のデビューイヤーは衝撃的だった。
1979年生まれで、黄金世代と呼ばれるエリートたちとは同年齢ながら、プロに入るまではほとんど無名の存在。しかし、福岡大から浦和にやって来た坊主頭のディフェンダーは、そのスピードと対人の強さを武器に開幕スタメンに抜擢されると、その年に全試合に出場し、Jリーグ新人王を受賞した。
当時の坪井のプレーを支えていたのは、紛れもない危機感だった。
「大卒で、1年契約だったので、何らかの結果を出さないといけなかった。その危機感があるなかで、とにかく必死にプレーしていたことを覚えています」
その愚直な姿勢が道を切り開いたわけだが、一方で坪井は「運がよかったですね」とも語る。その幸運とは、当時の浦和を指揮していたハンス・オフト監督の存在だ。
「オフトじゃなければ、試合に出られなかったかもしれない」
かつて日本代表を率いたオランダ人指揮官との出会いこそが、運命のターニングポイントだった。
「あの偏屈おじさんのもとで、プレーできたのは非常にありがたかったですね(笑)。ストレートに物事を言ってくれた時もありましたし、よくわからない言い回しをしてくる時もあった。回りくどい言い方なんですけど、実はそれに意味があったりして。いろいろと考えさせられたし、面白かったですね」
18年間の現役生活で多くの監督に師事してきた坪井だが、最も影響を受けた指揮官として真っ先に名前を挙げたのが、このオフトである。
「監督として非常に優れている人でした。一番印象に残っているのは、ジュビロ戦のこと。その試合の前日、雨で練習がまったくできなかったんです。試合前なので僕らは身体を動かしたかったんですが、オフトは練習をさせなかった。当時のジュビロは優勝を争うような強いチームだったので、僕らは『練習しなくて大丈夫か?』って思ったんです。
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