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鉄人・明神智和が引退を決断。
プロ24年間「大事にしてきた言葉」とは (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by Kyodo News

 シーズンが始まってからも......これはある意味、どのシーズンもそうでしたが、目の前の練習、試合に対して、常に全力で向き合ってきました。今年は試合に出られないことも多かったですが、出られない時には『チクショー!』『試合に出たい!』という悔しさをエネルギーにして戦ってきたし、チャンスをもらったら、そのチャンスに全力で向き合い、『勝ちたい』という一心で戦ってきました。

 そうしたなかで、長野から来年のオファーを頂いた時に、この一年と同じことを来年もまたできるのか、体も心もしっかり戦えるのか。チームを勝たせるための力になれるのか。お金を払って見に来てくださる人たちに、応えられるものをピッチで示せるのか、を自分なりに考え『求められるものに応えられない』という結論に至りました。それが、引退の理由です。

 柏レイソルユース時代、コーチに言われた言葉があります。『プロというのは、お金をもらってする仕事。お金を払って、見に来てくださる人たちに対して、その"お金"にふさわしいプレーを見せなければいけない』。24年間、僕はこの言葉をずっと大事にしながら戦ってきました。だからこそ、来シーズン、プロとして戦える状態にないのなら、100%で練習に取り組めないのなら、ユニフォームを脱ぐべきだと考えました。

 寂しさはありますが、毎日をやり切ってきたので、後悔はないです。1つ心残りがあるとするなら、この長野に来て、J2昇格だけを考えて一年、一年を戦ってきたからこそ、それが達成できなかったこと。そこに対する申し訳なさは、すごくあります」

 1996を皮切りに、柏で10年、ガンバ大阪でさらに10年、名古屋グランパスで1年、長野で3年。そのキャリアは、24年に及んだ。

 柏時代の2000年にはシドニー五輪を戦い、2002年には日本代表として初めてワールドカップの舞台に立った。当時、日本代表を率いていたフィリップ・トルシエ監督には、その堅実で、勤勉なプレーを評価され、「3人の個性派と8人の明神がいれば、チームは勝てる」と独特の言い回しで賞賛を受けたことも。とはいえ、当の本人はワールドカップのことを、ほぼ覚えていないと言う。

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