サンフレッチェひと筋22年。引退した
森﨑和幸の歩みはクラブの歴史だ (3ページ目)
―― 現役引退にあたって多くの取材を受けたと思うので、ここでは指導を受けてきた歴代の監督たちについて話を聞かせてもらえればと思います。高校3年生でJリーグデビューした1999年に、サンフレッチェ広島の指揮を執っていたのがエディ・トムソン監督でした。
森﨑 僕がプロになったのは2000年なので、実質、1年間しか指導は受けていないのですが、エディはとにかく基本技術を大切にする監督でした。それこそ、アウトサイドキックでパスを出して成功すれば何も言われませんでしたが、少しでもミスをすれば、「何でインサイドキックを使わないんだ」と言うような監督でしたからね。彼からは本当に、基本技術の大切さを学びました。
―― プロ1年目の時期に、あらためてサッカーの基本を学んだことが大きかったと?
森﨑 いや、自分に合っているなって思ったんです。自分はそれまでも基本技術を大切にしてきたので。もともとアウトサイドで蹴るようなタイプの選手ではなかったですし、その思考が合っていたからこそ、ルーキーである1年目から試合に起用してもらえたのかなと。
当時はダブルボランチでしたけど、どちらかと言えば自分は攻撃的。コンビを組んでいた森保(一)さんやクワさん(桑原裕義)が、守備ではいつもバランスを取ってくれていました。だから当時は、攻撃のことを考えるほうが多かった。
ただ、チームはけっして強くはなかったので、どうしても戦い方が守備的にならざるを得ない。前線にはタツさん(久保竜彦)がいたので、みんなでがんばって守備をして、タツさんを活かすサッカーでした。細かい戦術は違えども、パトリックを活かそうとした今シーズンのサンフレッチェのサッカーに近かったかもしれません。
―― プロ2年目になった2001年に指導を受けたのが、ロシア人のヴァレリー・ニポムニシ監督でした。
森﨑 これが面白いことに、ヴァレリーはエディとは真逆だったんです。エディが守備的だったのに対して、ヴァレリーは攻撃志向。実際に、僕のポジションもトップ下になりました。それこそ、なぜか(双子の弟である)浩司がボランチで、僕がトップ下で起用されましたから。ユースのころからずっと僕がボランチで、浩司がトップ下でプレーしてきていただけに、そこはちょっと悩みました。
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