39歳、プロサッカー選手・橋本英郎は「死ぬまで現役でいたい」 (2ページ目)
「プロになると同時に、一般入試で大阪市立大学に進学したため、プロになってからも多少は勉強もしたけど、高校時代に比べれば、格段に勉強時間が減りましたから。たとえ練習生でも、"プロ"の世界に足を踏み入れることさえできれば、これまでの倍近い時間をサッカーに充てられるし、『成長も望める』と考えた。そういう意味では、プロになってからの、サッカー中心の毎日は、すごく楽しく、いろんなことにポジティブに向き合えました」
また、"努力を間違わない"という意味では「指導者との出会いも大きかった」と振り返る。実際、プロになって試合に絡むことの少なかった10代の頃、当時の堀井美晴コーチに言われた言葉は、自分のプレーを確立するきっかけにもなった。
「試合に出られなかった時代、サテライトの練習を見てくれていた堀井さんとよく話をしたんです。そのときに『おまえは、足がずば抜けて速いわけでもなく、体力や体の強さがずば抜けてあるわけでもない。シュート力も大してない。じゃあ、どんな才能がある?』と聞かれて。僕が答えあぐねていたら、『ポジショニングだ』と言ってもらったんです。戦術眼を磨いて、的確なポジショニングをとれるようになれば、必ずそれで相手を上回れるようになる、と。
それはある意味、ポテンシャルの高くない僕にはすごくインパクトのある言葉でした。それも、プロの世界では1つの武器になると思えたことは、自信につながりました」
そんなふうに自分の武器を知ったうえで、必要な努力を続けることで、プロになった当初は「まずはJリーグに1試合出場すること」に据えていた目標も、少しずつ形を変えていった。
といっても、「もともと自分の才能への信頼が低かった(笑)」からか、どれだけ試合に絡めるようになっても、大きな夢を描くことは決してなかった。現に1試合をクリアすれば、5試合、次は20試合と、そのときどきで堅実に目標を定めてきた。
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