三竿健斗は足りないものを求めて「ギラギラした姿勢で練習した」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――当時所属していた東京ヴェルディは、下部組織のレベルも高く、トップへ上がる選手も多い。

「ユースをすごく大事にしてくれて、4,5人毎年上がっていたし、そういう場を作ってくれるクラブだったから、それはとてもありがたかった。高校生であっても2種登録でトップチームで活躍するのが当たり前という感じでしたから。そこを目指してやっていました」

――そして、高校卒業後の最初のシーズン、レギュラーとしてJ2で戦ったあと、2016年シーズンに鹿島アントラーズへの移籍を果たします。

「鹿島以外にもいくつかのクラブからオファーを頂いたんですが、鹿島でやりたいと思いました。実は、子どものころ、ヴェルディへ入る前には、鹿島のサポーターだったんです。夏休みには、父の運転する車でカシマスタジアムへも行き、ゴール裏で応援したり、味の素スタジアムにも何度も鹿島の試合を見に行っていたので、移籍が決まったときは、うれしかったですね」

――レベルも高いし、競争も厳しい鹿島で試合に出られるだろうかという不安はなかったですか?

「試合に出られないなんて思っていなかったですね。そんな弱気でいたら、この世界ではやっていられない。もちろん自分がスタメンで出るというふうに思って鹿島へ来ました。チームメイトのプレーを見ることで学べるし、成長のきっかけが鹿島ではたくさんつかめると」

――しかし、移籍後の最初のシーズンは4試合しか出場できませんでしたね。

「プレッシャーの速さが全く違いました。パスコースが空いていると思ってパスを出したら、すぐに奪われる。パスを誘われていたんですよね(笑)。そのうえ自分が強みだと思っていた守備も、誰もが普通にやっていた。レベルが本当に高かった。自分がやるべきこと、伸ばさないといけないことがたくさんあると痛感しました。力不足を感じることばかりでしたね。(小笠原)満男さんを見て、(永木)亮太君を見て、(柴崎)岳君を見て、学ぶことも多かった。僕はサッカーノートを書いているんですけれど、当時はいろいろと書くことがたくさんありましたね。いろんなタイプの選手がいるから」

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