齋藤学が明かす電撃移籍とW杯落選。「今なら話すことができます」 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 是枝右恭●撮影 photo by Koreeda Ukyo

 右ひざ十字じん帯損傷――全治8ヵ月の診断だった。4年前、ブラジルの地で一度もピッチに立つことなくワールドカップが終わってから、次を見据えてすべてを注いできた。ケガをしたからといって、簡単にあきらめてしまうには、費やしてきた時間はあまりにも長すぎた。

「過去の事例を調べてみたら、5ヵ月で復帰している選手がいたんですよね。それで、5ヵ月で復帰できたら(ワールドカップに)間に合うかもしれないなって思って。だから自分の中で、その可能性を信じて、まずは手術するために足の腫(は)れを取ることと、足の曲げ伸ばしをなるべく最大限に保つための筋トレをすぐに始めました。

 最初は誰に言っても、『あくまで目標ね』って言われました(苦笑)。自分としても、5ヵ月での復帰を目指すけど、先を見ることはやめようって決めて、まずは1日1日、やれることを100%以上の力でやろうと思った。その日のノルマがこれだけだったとしたら、それを少しだけ超える。それを毎日続けていけば、もしかしたら8ヵ月が7ヵ月になるかもしれないし、6ヵ月になるかもしれない」

 そう言って齋藤は、広げた親指と人差し指を徐々にくっつけていく。指では簡単に期間を縮められるが、実際はそうたやすいことではない。

 自暴自棄になってもおかしくはない状況で、なぜ齋藤は自分を奮い立たせることができたのか――。そう聞けば、「自分よりも友だちやチームメイトのほうが心配してくれて、落ちこんでいる余裕なんてなかったんですよ」と言って笑った。ひとつ言えるのは、自分自身を変えようと取り組んできた日々が、間違いなく彼を成長させていたということだ。齋藤が言葉を続ける。

「でも、あきらめるのって簡単じゃないですか。(ワールドカップのメンバーに)選ばれる、選ばれないは別として、チャレンジする過程というものが何より大事だと思ったんですよね。ここで簡単に投げ出してしまうよりも、チャレンジし続けたほうが、サッカー人生においても、その後の自分にとっても可能性は広がると思えたんです」

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