20年前に起きたJリーグ最大の悲劇。そのとき「F」の選手たちは... (3ページ目)
1998年は、日本サッカー界に大きな波がやってきたシーズンだった。6月、日本代表が初めてW杯(フランス大会)に出場し、日本中が沸いた。結果は3連敗に終わったものの、社会現象になるほどの騒ぎだった。
日本代表を頂点とするサッカー人気が沸騰し、日本のサッカー界は、2002年の日韓共催W杯に向けて、さらにこの機運を高めていこう、という状況にあった。
突然の消滅騒動は、その盛り上がりに水を差すものだった。
その日の練習前、会議室に全選手、スタッフが集められた。そこで、社長から簡単な説明がなされ、結論が書かれた紙が1枚、それぞれに渡された。
一方的に通知だけして出て行った社長の姿勢について、さらには新聞報道が出る前にまったく説明がなかったことについて、多くの選手が憤り、フロントへの不満を爆発させた。
「フリューゲルスがなくなるっていきなり言われて、そりゃ、腹が立ちましたよ。順番が違うだろって。マリノスとの吸収合併を決める前に、なぜ選手に話をしてくれなかったのか......。
佐藤工業が苦しいっていうのは聞いていた。だから、誰ひとり(佐藤工業がクラブ経営から撤退することについては)文句を言うことはなかった。むしろ、会社が苦しい状況の中でサポートしてくれたことに感謝していたし、そんな中でも一緒に戦ってきてくれて、個人的には"ファミリー"だと思っていた。
でも、一番肝心なことを僕らに何も言わずに決めてしまった。(すべてを決める前に)選手にも相談して、みんなにも話をしてくれれば、もしかしたらチーム存続の可能性があったかもしれないし、他にいい解決策を見つけられたかもしれない。それなのに......。フロントの対応には裏切られた感があって、すごく寂しいなって思いましたね」
三浦の思いは、選手の誰もが抱いたものだった。
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