2018.03.31

死の淵からよみがえったラモス瑠偉が、
日本ビーチサッカーに魂を注入

  • 小崎仁久●文 text by Kosaki Yoshihisa
  • photo by Getty Images

 生死の淵をさまよったラモス瑠偉が日本サッカー界に帰ってきた。

 成績不振によりJ2・FC岐阜の監督を解任された5カ月後の2016年12月29日、ラモスは自宅で脳梗塞を発症して病院に搬送された。

 一時は容態の急変も心配されたが、幸い大事には至らず、医師も驚くほどの懸命なリハビリで順調に回復。2017年3月には活動を再開し、そして今年の2月にビーチサッカー日本代表の監督に”復帰”することが決まった。

過去のビーチサッカーW杯で、好成績を残してきたラモス監督 2月14日に行なわれた就任会見では、「何人かの選手は喜んでいるけど、何人かの選手はビビってる。”鬼”が帰ってきたから」と笑顔を見せた。ビーチサッカーの代表を率いるのは今回が3度目だが、芝ではなく砂のピッチで戦うことを決めた理由を、おなじみの”ラモス節”でこう述べる。

「生意気を言わせてもらうと、日本でビーチを始めた男は私ですから」

 日本は、1997年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた第3回ビーチサッカー世界選手権に初出場(アジア勢として初)。当時はまだ、国際サッカー連盟(FIFA)も日本サッカー協会もビーチサッカーに関わっておらず、ヴェルディ川崎で現役だったラモス監督を含め、なんとか選手をかき集めて出場にこぎつける状態だった。

 2005年に初めて開催されたFIFAビーチサッカーW杯では、日本代表の監督としてチームをベスト4に導いた。競技人口が少なく、練習する環境さえ整っていなかった日本の快進撃は世界に衝撃を与えた。

 その後、2009年と2013年の大会でも監督を務め、どちらもベスト8進出を果たしている。その間にはアジア選手権で連覇(2009年、2011年)を達成しており、決して「生意気」ではなく、ラモス監督は日本ビーチサッカーの第一人者として輝かしい実績を残してきたのだ。