2018.03.24

スタジアム近所の子供が守護神に。
曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(5) 
曽ヶ端準 前編

中田浩二の証言から読む>>


 広いミックスゾーンの中央で、昌子源と話していたガンバ大阪の東口順昭は、鹿島アントラーズの曽ヶ端準(そがはた ひとし)の姿を見つけると、サッと駆け寄り挨拶をした。短い言葉を交わしたのち、両手で曽ヶ端と握手する姿が印象深かった。

 鹿島vsG大阪が行なわれた3月3日のカシマスタジアムでの光景だ。

「曽ヶ端さんをはじめ、(川口)能活さんやナラさん(楢崎正剛)が長く活躍してくれているのは、本当に力になりますからね。もっともっと続けてほしい」

 試合の行方を左右するピンチを救い続けた東口は、日本代表ゴールキーパーの先輩たちの名前を口にした途端、敗戦でわずかに硬くなっていた表情が一気に破顔する。

 1998年、鹿島アントラーズに新加入した"高卒6人衆"。小笠原満男を筆頭に、世代別の代表にも名を連ねる高校サッカーの雄が揃っていた。曽ヶ端もその一員ではあったが、当時はまだ代表の守護神という立ち位置ではなかった。

 曽ヶ端のプロのキャリアは、市川友也に次ぐ2人目の鹿島ユース出身選手としてスタートした。その後、1998年のAFC U-19選手権、1999年のワールドユースを経て、2000年にA代表デビューを飾る。2002年日韓W杯メンバーに入り、2004 年にはオーバーエイジ枠でアテネ五輪にも出場した。

 鹿島での時間が曽ヶ端の進化を促したことは言うまでもない。ポジションは違えども、同期の活躍が後押しになっているのだろう。

長らく鹿島の守護神として活躍してきた曽ヶ端準

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――今季で、鹿島在籍21年目を迎えましたね。

「引退する選手もいるなかで、サッカーを続けていられることに幸せを感じます。僕はカシマスタジアムの近くで生まれて、育ちました。生まれた町にプロクラブがあり、そこでプレーできるなんていう幸せを味わえる人は、そう何人もいるわけじゃないでしょう? 同じ市ならまだしも、スタジアムが徒歩圏内ですからね」

――「ここにスタジアムができるのかぁ」と、子どもの頃は思っていたんですか?

「ジーコが住友金属サッカー部へ来たのが小学生の頃。スタジアムそばの小学校へ通っていました。そして、中学時代に鹿島アントラーズが生まれた。スタジアムもそうですけど、何もないところを切り拓くような感じでスタートしましたから」