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ベンゲルに届いた巨大なオファー。
名将がグランパスを去る日がきた (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

シーズン終了を待たずに訪れた別れのとき

 8月末に名古屋グランパスの応援番組に出演したアーセン・ベンゲルは、「たとえ日本を去っても、私はグランパスを愛している。私のスピリットがグランパスに残ることを望んでいる」と、惜別のメッセージとも取れるコメントを発した。

 別れのときは、確実に近づいていた。

 そして、プレミアリーグの開幕から1カ月が経った9月16日、記者会見が開かれ、ベンゲルが9月28日の柏レイソル戦を最後に退任することが発表された。

 アーセナルから監督就任要請のオファーが正式に届いたのは、7月3日のことだった。グランパスの監督就任1年目の1995年から、ベンゲルのもとには欧州のクラブからオファーが届いていたが、グランパスとの2年契約をまっとうすることが優先されてきた。

 だが、欧州のビッグクラブで指揮を執ることはベンゲルにとって長年の夢であり、イングランドの名門クラブからのオファーは大きなチャンスだった。また、これ以上要請を断り続けると、欧州に戻るつもりがないと思われかねない。それは、後のキャリアのためにも避けなければならなかった。

「昨年12月までは、しばらく日本にいてもいいと思っていたが、今年6月ごろから考えが変わった。ヨーロッパのハイレベルな戦いのなかで生きていくためには、そこにいなければならない」と語ったベンゲルは、「グランパスでの仕事をまっとうしたかったが、ヨーロッパに戻るなら今しかないと思った」と、欧州復帰を決断したのだった。

 あわせて、ニューヨーク・メトロスターズの指揮を執っていたポルトガル人指揮官、カルロス・ケイロスがベンゲルの後任に就くことが発表された。

 その会見の2日前、9月14日の第19節が終了した時点で、グランパスは首位の鹿島アントラーズと勝ち点2差の3位。逆転優勝を狙える好位置につけていた。

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