長崎を奇跡のJ1に導いた、髙田社長の
テレビ通販と似たクラブづくり (2ページ目)
たかた・あきら 1948年、長崎県平戸市生まれ。1974年、家業の有限会社カメラのたかた入社。1986年、株式会社たかた設立。1999年、社名を株式会社ジャパネットたかたに変更。2015年、ジャパネットたかた代表取締役退任。2017年、株式会社V・ファーレン長崎代表取締役社長就任 今(インタビュー中)、カメラマンの方が撮影されていますが、私も最初はカメラ店だったんです。カメラってすごいって思います。もし徳川家康の写真が1枚あったら、関ヶ原の戦いの写真が1枚あったらどうですか。1枚の写真が、100年の人生を語りかけてくるんですよ。それがカメラですよって。当時、このような話をすると、よく注文がありましたね。
だから、サッカーも"勝った、負けた"のもっと先の、人に届くものがあると思います。結果だけで考えると、チームである選手や監督がやったということになるんですけど、そうじゃないんですよね。われわれ(クラブ側)が頑張った、そうでもありません。みんなが応援してくれたから、だけでもないんです。すべてが重なったときに初めて、踏み出すもの、感じるものがあるんだと思います。
これからの課題は、関わる人の心をどれだけひとつにできるかということだと思います。2017年は、結果としてそれが出てきたんじゃないかと思います。頑張っている結果にファンが共感して、人が増えて応援する。一部の県民だけだったのが、だんだんと全部が応援し出す。だから盛り上がってきて、その後押しの中で選手の力がついてきて、J1という奇跡が起こったんじゃないでしょうか。みんなの力がそこに結集したということだと思います。
ただ、その完成度はまだ高いものじゃない。ですからJ1になることが目的じゃなくて、昇格の先にあるものを、われわれが努力しながら作っていかなければならないと思います」
――確かにその結果の具体的な形として、2万2000人という入場者数になったのでしょうね。
「私もホーム最終戦のカマタマーレ讃岐戦、最終節のザスパクサツ群馬戦に行って見ていると、見る人の心も変わっているんでしょうけど、人の顔が見える感じがしました。
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