証言・福田正博。あの「何の意味もない
Vゴール」に至る屈辱のシーズン (3ページ目)
新たに招聘した指揮官は、オランダのアヤックスやベルギーのアンデルレヒトなどで実績を残してきたア・デモス監督(オランダ)だった。
福田は、ペトロビッチから「古いタイプの監督」という情報を得ていたが、その本当の意味を知るのはもう少し先の話になる。
原博実監督が解任され、新たに招聘されたア・デモス監督。photo by Yamazoe Toshio
ア・デモス監督は、選手を徹底的に管理し、FW永井雄一郎ら若い選手を積極的に起用するなどしてスタメンに変化をつけた。しかし、どん底だったファーストステージから、流れが一変することはなく、セカンドステージも開幕から4連敗を喫した。
その後、第5節のセレッソ大阪には勝利してひと息ついたが、第6節のジュビロ磐田戦から第9節の名古屋グランパス戦まで再び4連敗。チームはここから、J2降格へ、ゆっくりと坂道を転がり始めたのである。
福田が語る。
「磐田戦から名古屋戦までの4試合はすべてVゴール負け。あのときは、さすがにチーム内も『まずいな』という雰囲気になった。
(ア・デモス)監督もチームを立て直すために、いろいろなことを考えていたと思う。それは、ミーティングで話を聞いていてもよくわかったし、監督が言うことは説得力があった。
ただ、仕方がないことだけど、Vゴールに対する意識が低かった。引き分けというプランは持っていて、Vゴール負けした4試合でも90分間はプランどおりにしっかりと戦えて、その点では成功している。結局、監督としての経験値は高かったけど、この(Vゴールという)ルールでの経験値が足りなかった。Vゴールで勝つための方策も持っていなかったように思う。
まあでも、J2に降格するとか、そういう危機感はまだ(自分は)抱いていなかった」
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