15年前にジュビロのN-BOXが体現した「日本人らしいサッカー」 (7ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 オシムが志半ばで倒れ、岡田ジャパンがワールドカップ直前に方向転換し、ザックジャパンがブラジル後で実現させようとして打ち砕かれた、日本人の、日本人による、日本人のためのサッカー――。

 そのひとつの理想形を、我々は15年前、すでに目にしていたのだ。

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 磐田はその後、2013年にJ2に降格し、1年でのJ1復帰に黄色信号が灯った2014年9月、名波が監督として古巣に復帰した。その年のはじめに強化部長に就任した服部、15年にアカデミーの監督に就任した田中誠と、黄金期を知るレジェンドたちが続々とフロントやコーチングスタッフとして帰還している。

 現代サッカーのスタンダードはこの15年の間に驚くべき速さで変化し、激しさとスピードが求められるようになった。効率が重視される今、フォーメーションとしてのN-BOXを再現するのは困難なことだろう。

 しかし、「高い位置から奪いにいく、アクションサッカーをやっていく」と公言する監督としての名波にとって、N-BOXの本質そのものは、ひとつの理想として頭の中にあるはずだ。

 J1復帰2年目となる今シーズン、磐田はひとりの選手を迎え入れた。

 中村俊輔。指揮官とサッカー観を共有する稀代のレフティである。

 日本を代表するゲームメーカーの加入は、あの強く、美しい磐田復活のプロローグとなるだろうか。

(おわり)

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