15年前にジュビロのN-BOXが
体現した「日本人らしいサッカー」 (5ページ目)
右サイドでいえば、攻撃的ミッドフィールダーの藤田俊哉を自陣深くに下げると、その攻撃力を半減させてしまうことになる。そこで、右ボランチの福西がスライドして右サイドの守備にあたったが、それを何度も繰り返すと、福西のストロングポイントである中盤でのボール奪取力と、ゴール前への飛び出しに支障をきたしかねない。鈴木秀人が続ける。
「だから、状況によっては僕がサイドに出て、それに合わせてディフェンスライン全体が右にスライドするという形ができあがった。納得のいくまで話し合って、試行錯誤しながら、あうんの呼吸と言えるレベルまで磨いていったんです」
N-BOXの基本フォーメーション(2001年4月7日の鹿島戦)graphic by Unno Satoru さらに名波が、中盤の5人について言及する。
「奥(大介)は苦しいときにドリブルで2、3人はがしてくれるし、俊哉はボックスの中で決定的な仕事をしてくれる。俺だったら劇的に展開を変えるようなボールを出す。ハット(服部)はバランスを取りながら広い範囲をカバーしてくれて、フク(福西)はボールが取れるし、2、3人飛び越して出ていってくれる。異なる個性が組織として融合するのって簡単なことじゃないけれど、ゴンちゃん(中山雅史)やタカ(高原直泰)、3バックも含めて当時のジュビロはうまく回っていた」
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