名波、福西らが推測。ジュビロのN-BOXは銀河系レアルに通用したか (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 2001年シーズンを迎えて、磐田が何やら面白いトライをしているということは、編集部の人間から聞いていた。この年、磐田が初めて関東で試合を行なったのが第4節の鹿島戦で、国立競技場の記者席からその試合をみつめていた伊東が想起したのは、1995年1月にキング・ファハド・カップ(現コンフェデレーションズカップ)で初陣を飾った加茂ジャパンのことだった。

「初戦でナイジェリアと戦ったんですが、そのとき、山口敏弘が1トップ、左にカズ(三浦知良)、右に北澤豪、ダブルボランチに山口素弘と柱谷哲二、その真ん中にラモス(瑠偉)さんが配置されたんです。当時、加茂(周)さんが『ラモスの能力を最大限に生かすために周りを固めてプロテクトするんだ』と言っていて、なるほど、テクニシャンが潰されず、存分に指揮を執れるようにするために周りを固めるという考えがあるんだなと。磐田を見て、それを思い出した記憶があります」

 だが、15年ぶりにあらためて磐田の試合映像を見てもらうと、その印象が異なることに気づくあたり、やはり、伊東はサッカーのすぐれた目利きだ。

「名波をプロテクトして攻めるというのは、攻撃の考え方なんですが、あらためて見ると、これは守りの考え方から来ているんだということが分かりました。中山(雅史)まで下りてきて、3人で囲みにいって、最後に名波が奪っている。これなんて、まさにハイプレッシング。どう奪ってどう攻めるか、今でいうショートカウンターが多いですね」

 その完成度に時おり驚きながら、伊東が続ける。

「よく言われるバランスみたいなものを崩さないで、これを90分やったんだから、一人ひとりのサッカー観というか、判断力というか、その集積でしょうね。名波も(藤田)俊哉も独自のサッカー観を持っているし、奥(大介)もモノを言うタイプだったし、福西(崇史)も服部(年宏)も、みんな一家言を持っている選手たちだった。彼らが主張し、話し合って、あるいは練習の積み重ねの中で修正しながら、これを作り上げたんだろうな、という気がします」

2 / 7

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る