伝説のジュビロN-BOXは、選手たちの反発と戸惑いからスタートした (2ページ目)
それから1年が経った1996年の夏、日本代表は25歳以下に限定したメンバーでデンマーク遠征を行なった。ルーキーイヤーの1995年から日本代表に選出されていた名波は、この遠征でボランチにコンバートされ、以降、日本代表の中盤に欠かせない存在となる。
鈴木が会議に出席するために訪れた日本サッカー協会で、日本代表を率いる加茂周とばったり出くわしたのは、デンマーク遠征直後のことだった。
「加茂さんとたまたま会ったら、『おい、マサ。今回の遠征でひとりだけヨーロッパで通用する選手を見つけたぞ。誰だと思う? 名波だよ、名波』とおっしゃったんです。そこで、ハンスが奨励してきた『スペシャリスト+オールマイティ』になることがいかに重要か、改めて実感しました」
その後、1997年にW杯予選、1998年にW杯本大会を経験し、1999年夏からは1年間イタリアで揉まれ、ミッドフィールダーとしての総合力を一段と高めた名波は、鈴木の思い描く中盤のフリーマンにうってつけの存在だったのだ。
「攻撃はもちろん、ボランチのカバーにも入れて、フィールド全体を見渡せる名波じゃなければ、あのポジションは難しかったと思います」
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