高松大樹が語るトリニータ愛。「本音を言えばJ1に上げて引退したかった」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by Sportiva

 J1参戦1年目の2003年にはレギュラーに定着し、翌年のアテネ五輪出場を目指すU-22日本代表にも選出された。それまで代表とは無縁だった高松にとって、この代表入りがひとつのターニングポイントとなった。

「オリンピック代表に入って、サッカー観が変わりましたね。僕はどちらかというとコミュニケーションを取るのが苦手で、初めは、本当は代表に行きたくなかったんです。もう、大分から出たくなかったんで(笑)。でも、同年代の実力のある選手とやるなかで、サッカーの考え方や意識も変わったし、このままではダメだと気づかされました。あのときに代表に入っていなかったら、たぶんここまで長くできなかったと思います」

 翌年には五輪本大会にも出場し、グループリーグ全3試合に出場。早期敗退に終わったものの、アンドレア・ピルロ(現:ニューヨーク・シティFC/アメリカ)らを擁した強豪イタリアから1点を奪うなど、自身は十分なインパクトを残した。このとき、高松はすでに大分の人たちにとって、ヒーローとなっていたのだ。

 ただし、当時の自身を高松は恥ずかしそうに振り返る。

「引退した後に、地元メディアの方々と初めて食事をしたんですが、そのときに『一番対応が悪かったのは誰ですか?』って聞いたら、間髪入れずに『高松君!』って言われました(笑)。もともと取材は苦手だったんですが、あのころはちょっと天狗になっていたところがあったかもしれませんね」

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