2015.10.28

【育将・今西和男】毎年ドイツに渡り、「プロ」風間八宏を口説いた

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

『育将・今西和男』 連載第12回
門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(1)

クラブハウスで選手時代を振り返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督
 1994年1stステージでのサンフレッチェの戴冠を語るとき、今西はマツダ時代からこつこつと築いてきたチームの育成・強化の結実を勝因として挙げる。その中で「あれの獲得が特に大きな転機だった」と振り返る人材が「風間八宏」である。

 清水商業在学中に同世代に類を見ない突出したタレントとして、マラドーナがMVPに輝いた1979年のワールドユース日本大会に出場した風間のところには、すでに高校卒業時に実業団、大学を問わず、ほとんどの主要チームが勧誘に来ていた。風間が学校から帰宅すると、母親が営んでいる磯料理の店のカウンターにはずらりとスカウトが並んで、飲みながら待っていた。

 母は女手ひとつで長男の自分を筆頭に3人の息子を育ててくれていた。風間には4歳年上の姉がいたが、彼が1歳のときに白血病で亡くなっていた。母がそんな悲しみの中で、自分たち兄弟を養ってくれているのを知っていた。だからこそ、早く楽をさせてあげたい。「俺は進学はないな」と考えていた。

 進路を決めなければならなくなったある日、清水商業高校監督の大滝雅良に体育館の教官室に呼ばれた。「おい、結局お前はどこに行きたいんだ」。関東大学1部リーグの名門校をはじめとして10校を超える大学が入学の勧誘に来ていた。受ければ受かる。私学であれば「○○大学に行きたい」と言った瞬間に進学が決まってしまう。一計を案じた。

「はい、東大ですね。もしくは慶応の医学部です」

 とたんに大滝のパンチが飛んで来た。