2015.09.05

【育将・今西和男】久保竜彦「S級より、小学生にサッカーの楽しさを伝えたい」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

『育将・今西和男』 連載第6回
門徒たちが語る師の教え 廿日市FC 久保竜彦(2)

2013年、廿日市FCで現場復帰した久保竜彦。現在もプレーを続けている前回の記事はこちら>>

 決して振る舞いに問題があって孤立していたわけではない。それどころか、その飛びぬけた能力をサンフレッチェ広島のほとんどの先輩たちは驚愕の面持ちで見つめていた。しかし、久保は"超"の字がつくほどの人見知りゆえに、コミュニケーションが取れず、チーム内で友人が作れずにいた。シャイな性格から福岡筑前の訛りが恥ずかしく「もう絶対にしゃべらんとこと思った」と決意していたことは前編で述べたとおりである。

 そんな久保が密かに憧れている選手がいた。AFCユースの1994年大会で安永聡太郎(当時、清水商業高校)と2トップを組んで大活躍をした1学年上の大木勉(当時、青山学院大学)である。

「テレビで観て驚いたです。FWとしての細かいステップやったり、独特の間合いやったり、ディフェンスが予測する前にアクションを起こして先手先手で仕掛けるタイミングとか、格好ええなあ。あそこに近づきたいなあと思ったし。そうしたら、急にうち(広島)に来るっていうんで『やったあ!キターッ!』って」

 大木の青学大を中退してのサンフレッチェ入団にも、今西の力が介在していた。大木は大学サッカーでのプレーを一度は選択したものの、日本代表ユースでの活躍からプロ志向に切り替わってきたとの情報を得た今西は、いち早く東京に飛んでいた。その高い技術を評価していたので、ぜひ欲しいと考えていたが、もしかしたら関東のチームに行きたがるのではないかという懸念があった。「愛媛の南宇和高から青学に行くくらいなので、中央志向が強いんかと思っとったら、僕は広島に行きたいと言うんで『しめた!』と思うてね」