【育将・今西和男】 森保 一監督が継承する「サッカー哲学」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

 今、森保はその成果を振り返って言う。「2012年から2年続けての優勝も嬉しいのですが、同時にフェアプレー賞、高円宮杯を一緒に取れたのはサンフレッチェだけなんです。その精神は今西さんに教わったものなので、恩返しが少し出来たかなと思います。実はこれを今日、持って来ました」

 最後に自分のポケットからひとつの小冊子を取り出した。『私たちの目指すもの』と記されている。

「創成期に今西さんが関わって作ったチームスローガンです。フェアプレー精神や社会人として、どう行動するのかが書かれているのですが、ずっとこれを僕は机に入れているんです。この思想、哲学はしっかりと守っていきたいと思っています」

 そこには、常日頃今西が言っていた「サッカー事業を通じて夢と感動を共有し、地域に貢献すること」が理念として掲げられている。生え抜きの監督がJリーグ開幕時に作られた冊子を20年以上経っても、しっかりと保持している。"育将"から連綿と続く意志の継続と結実を見る思いだった。
(つづく)

【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締 役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格 に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

森保 一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎日大高卒業後、マツダ(JSL)に入団。その後、Jリーグが開幕し、広島―京都―仙台―広島―仙台でプレーした。1992年、日本代表に選出され、オフトジャパンのボランチとして活躍。"ドーハの悲劇"を経験した。2003年、現役引退。翌年、サンフレッチェ広島強化部のコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタート。ユース世代の日本代表コーチやアルビレックス新潟のヘッドコーチなどを経て、2012年古巣広島に復帰、トップチームの監督を務める。2012、2013シーズン、J1連覇を果たした

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