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【特別寄稿】サッカーJ2、FC岐阜・恩田社長の決意と覚悟 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 恩田はシフト時間外も遮二無二働いた。頼んだ業者が昼間に来れば、店で対応しなくてはならない。アパートには帰らず、店にあるカラオケの6番の部屋が稼働率が悪かったので、結局そこで寝泊まりするようになった。風呂は近所のスーパー銭湯に通い、やがてカラオケ6番が恩田の家と呼ばれることになった。

 客との間には不思議な連帯感が生まれ、3カ月後に恩田が三重の鈴鹿の店舗に転勤になっても大阪から遊びに来てくれた。「お客様を信じれば、心は通じることがわかったのでどんな地域でも頑張れました」。

 鈴鹿では暴走族の抗争に巻き込まれた。四日市のチームがある夜、いきなり店にやって来て、中の鈴鹿の奴らを出せ!と怒鳴った。「個人情報に関わることなので、誰がいるかもお伝えできません」と言うと引き下がったが、翌朝、エレベーターの掃除に出ると、辺りは血溜まりだった。帰りを待ち伏せして襲ったのだった。

 鈴鹿の次は福岡の大宰府。ここでは出社すると、待ち受けた黒ベンツのオーナーにいきなり自宅に連れ去られた。「見ろ!朝、家の壁を見たらこんな酷い落書きをされていた。24時間営業のお前の店の客がやったに違いない」と怒鳴られた。「うちは防犯カメラですべてチェックしていますから、それをまず見て下さい。地元の方にご迷惑をおかけしてはいけないと、いつも思って営業しています」。どんな気持ちで店を経営しているのかを訥々(とつとつ)と語ると、やがて強面のオーナーの気持ちもほぐれ、さらには店に遊びに来てくれるようになった。

 自身が感動したディズニーシーとはまったく異なるアミューズメントの現場環境だが、それでも同じお客様である。恩田はプライドに引きずられて、こんなはずではなかったと嘆く前に理不尽なゲストにも誠意をもって対応し、サービス業において顧客と直接触れ合うことの大切さを学んでいった。

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