磐田・名波浩監督が激白「リアクションサッカーはしない」

  • 渡辺達也●構成 text by Watanabe Tatsuya
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

2014年9月26日、スポルティーバの解説者としてもお馴染みの名波浩氏が、ついに古巣・ジュビロ磐田の監督に就任した。しかし、期待されたJ1復帰は果たせずに終わった。名波監督はその現実をどうとらえ、来季の戦略についてはどう考えているのか、直撃した――。

プレーオフで負けたあと
コーラをカブ飲みしてふて寝した

――まずは、リーグ6位のモンテディオ山形と対戦したJ1昇格プレーオフ準決勝(11月30日)の話から聞かせてください。リーグ戦上位(4位)のジュビロは引き分け以上で決勝に進出できる状況の中、1-1で迎えたアディショナルタイムに、山形のGK山岸範宏に劇的な決勝ゴールを決められてしまいました。試合後の会見では、言葉数も少なく、かなり厳しい表情をされていましたが、やはりショックは大きかったですか。それとも、怒りのほうが強かったのでしょうか。

名波浩(ななみ・ひろし)。1972年11月28日生まれ。静岡県藤枝市出身。ジュビロ磐田監督。現役時代はジュビロの中心選手として黄金時代を築いた。次は指揮官として「最強チーム」の構築が期待される。名波浩(ななみ・ひろし)。1972年11月28日生まれ。静岡県藤枝市出身。ジュビロ磐田監督。現役時代はジュビロの中心選手として黄金時代を築いた。次は指揮官として「最強チーム」の構築が期待される。名波 ショックのほうが大きかったよね。会見で「冷静に(監督に就任してからの)10試合を振り返ってみないとわかりませんが、責任は僕にあると思います」と言った言葉どおりの思いだけで、あとは何も考えられなかった。(冷静に)試合を振り返って、回想するだけの精神状態にはなかったから。リーグ戦9試合とプレーオフでトータル10試合の指揮を執ってきて、その期間が「何だったんだろうなぁ......」ということだけが頭に浮かんできた。この短期間で、「これほどいろいろなことをやる監督はたぶんいないだろうな」と、自負できるぐらいのことをやってきたと思うからね。自分も現役時代に監督が交代したことがあったけれども、「これほど細かいことまでやった監督はいないよな」と思っていたし......。

――それは、監督という"職業"の難しさを知った瞬間でもあったのでしょうか。

名波 いや、簡単に言えば、ずっと頭の中で思っていたのは、自分が「持ってねぇな、持ってねぇな」ということだけ。「オレ、本当に持ってねぇな」って。

――山形戦の最後のゴールは、ちょっと考えられないものでした。事故のような感じというか......。

名波 あれは、事故じゃないよ。試合後、クラブハウスに戻ってからすぐに映像を見たけど、最後の(山形の)CKは明らかに自分たちのミスから生まれたものだから。そこにいたるまでのプロセスで、うちにいくつかのミスがあった。終了直前の残り時間でどうプレイをすべきか、そういう練習もやってきたにもかかわらず、何人かの選手がやってはいけないミスをして、相手に付け入る隙を与えてしまった。

――後半に入って、わりと早い時間帯から選手たちがボールをキープし始めているように見えました。そのまま1-1で逃げ切ろう、という考えがあったのでしょうか。

名波 いやいや、選手には「チャンスがあったら行け」って言っていたし、選手たちもゴールを奪いに行っていた。ビッグチャンスが何回かあったでしょ。それが、ボランチの田中裕人と、(松井)大輔が同じタイミングで足をつっちゃって、そこで(後半30分)交代枠をふたつ使っちゃったのが痛かったね。さらにそのあと、調子のよかったMF山崎(亮平)も足をつっちゃって......。山崎は、すごく動きがキレていて、守備もがんばっていたから、(最後までプレイして欲しくて)最初は見て見ぬふりしていたんですよ。でも、本人が(ピッチから)バツ印を出してきて、交代せざるをえなくなった。で、最後は結局自分たちのミスで......。

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