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福田正博が考える「浦和の広島化」の問題点 (3ページ目)

  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 たとえば、ミランが、セリエAを連覇中のユベントスから毎年毎年選手を引き抜いていったとしたら、ミラニスタがそれをどう感じるか。そして、監督も含めて、ミランの先発の半分近くが元ユベントスの選手になったらどうだろうか。それは、プライドという次元の話でなく、クラブとしてのアイデンティティの問題になってくると思う。

 クラブにとってもっとも重要なものは、フィロソフィーやアイデンティティだと私は思っている。「魂」とでも言うべきだろうか。サッカーの戦術やスタイルの話ではない。結果を求めるのはもちろん重要だが、「結果さえ出ればそれでいい」で片づけるべきではない。

 監督として、自分のスタイルで結果を残すために、自分が以前指導していた選手を獲得することは、非常に正しい判断だ。しかし、1試合でも大敗することがあったら、その途端に監督にも選手にもすごいプレッシャーがかかってくるはずで、今年のプレッシャーは昨年の比ではないだろう。とくに広島から移籍してきた選手にはかなりのプレッシャーがかかる。

 ペトロビッチ監督は、優勝するために2012年に浦和の監督に就任した。しかしその年、森保監督の指揮の下、広島がJ1で優勝した。その優勝は、ペトロビッチ監督が築いたベースがあったからと言われていた。そして昨年、広島は連覇を達成した。浦和は、またも広島の後塵を拝することになった。

 結果として、ペトロビッチ監督の采配能力に疑問符がつくようになってしまった。また、優勝するために浦和に来たペトロビッチ監督がタイトルを取れないでいるため、浦和に移籍してきた元広島の選手たちは、広島が優勝したことを非常に気にしているだろう。だからこそ、「ペトロビッチ監督にタイトルを」と意気込んでいる。

 でもそれは、広島から浦和に移籍してきた選手が気にしていることであって、浦和というクラブがどこにも存在していない。クラブとしての有り様、今後どういうクラブとして存続していくのかというフィロソフィー、それが見えにくくなっている。厳しく言うと、魂を失ってしまいかねない。

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