2012.03.11

震災から1年。福島ユナイテッドFC、残された者たちの闘い

  • 矢沢彰悟●取材・文 text by Yazawa Shogo
  • photo by Yazawa Shogo

震災後7人の選手がチームを去るなか、福島ユナイテッドは東北社会人1部リーグで初優勝を飾った/写真提供●福島ユナイテッドFC 雪が舞う寒空。グラウンドは次第に白く覆われてきた。そんな中、目の前では30人弱の選手たちが練習に励んでいる。

「これだけ人数が揃うと、ようやく活気が戻ってきたって感じがするね」

 見学に来ていたひとりのファンが、そうつぶやく。この日はインフルエンザなどで何人か休んでいたため、全員が練習に参加していた訳ではない。それでも「これだけ揃うと」などと見える。昨年の福島ユナイテッドFCは、そう思ってしまう程のチーム状況を強いられていた。

 福島ユナイテッドは02年に将来のJリーグ入りを掲げ結成された、東北社会人1部リーグに所属するクラブだ。

 2011年シーズン開幕前。前年に宿願だったJFL昇格を目の前で逃した反省から戦力も十分に補強し、チームづくりも着実に進めていた。今度こそJFL昇格を決め、歓喜の年にするはずだった。だがそれが一気に崩されてしまう出来事がチームを襲った。

 3月11日、東日本大震災だ。

 選手・スタッフは全員無事が確認された。だがこの福島の地では、原発事故による放射能漏れが先行きを一層不透明にした。避難所暮らしを経験した選手もいる。

「今年こそ本当にJFLにいける可能性があったのに」

 このやり場のない思いをあざ笑うかのように、原発から50km以上離れている福島市でも高いレベルの放射能が検出された。当面チームは活動休止。開幕が迫っていたリーグ戦の開催すらもわからなくなってしまった。

 福島を拠点とするチームと言っても、実は選手のほとんどは県外出身者だ。そのひとりであるGKの内藤友康は、震災後すぐに神奈川県の実家に帰った。高速道路も封鎖され、後輩と一般道を約7時間かけてのドライブだった。

「なにもしたくない」
 実家に戻ってからの内藤は、そんな気分に支配された。

「こんな気持ちでサッカーができるのか?って思った。それにサッカーをする前に人としてできる事があるんじゃないか、とも」

 だが現役の選手として、いつまでも体を弛ませている訳にはいかない。リーグ戦は当面開催されないことが決まっていたが、とりあえず何があるかわからない。内藤は母校のサッカー部に頼み込んで、練習に参加させてもらった。だがそんな気持ちになるまで、2週間程かかった。