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【サッカー日本代表】松木、塩貝の初ゴールにも、セルジオ越後「評価は難しい」森保采配も「何も変わっていない」 (2ページ目)

  • 渡辺達也●構成 text by Tatsuya Watanabe

【ウルグアイは真剣に戦ってくれた】

 日本の選手を評価しにくかった一方で、ウルグアイは、かなり真剣に戦ってくれた。それは日本が試合開始早々から激しいプレーを見せたからだろう。堂安や瀬古歩夢らがファウルすれすれのプレーを仕掛けると、ウルグアイも「こっちもいくぞ」となり、激しい試合になった。

 ウルグアイはボール回しがうまく、日本のプレスを巧みに剥がして主導権を握った。後ろには、リバプールでプレーするロナルド・アラウホのような、強さとうまさ、迫力を兼ね備えた選手がいる。でも、前線には、体の大きな選手はいるものの、個の力でドリブル突破したり、1対1で相手をかわしてシュートを打ったりするような、細かな技術で局面を打開できる選手がいない。だからチャンスはつくるけど、決めきれない。

 その決定力不足は、この試合に限った話ではない。北中米ワールドカップでも、カーボベルデやサウジアラビアに引き分け、グループリーグで敗退した。カタールワールドカップに続き、2大会連続のグループリーグ敗退だ。

 かつて、フォルラン、スアレス、カバーニといった世界的なストライカーを擁し、ベスト4に進出した2010年南アフリカワールドカップと比べると、今回のウルグアイは南米の強豪とは言いがたい。彼らに続く世代が育っていない証拠だ。

 でも、そういうウルグアイを相手に、日本はホームの試合で引いて守らなければならなかった。それが今の日本の実力だということじゃないかな。

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著者プロフィール

  • セルジオ越後

    セルジオ越後 (せるじお・えちご)

    サッカー評論家。1945年生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。17歳の時に名門コリンチャンスのテストに合格し、18歳の時にプロ契約を結び、MF、FWとして活躍した。「エラシコ」と呼ばれるフェイントを発案し、ブラジル代表の背番号10を背負った同僚のリベリーノに教えたことでも有名。1972年に日本リーグの藤和不動産(湘南ベルマーレの前身)から誘いを受け、27歳で来日。1978年から日本サッカー協会公認の「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、のべ60万人以上を指導した。H.C.日光アイスバックスのシニアディレクター。日本アンプティサッカー協会最高顧問。公式ホームページ【http://www.sergio-echigo.com】

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