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サッカーで培われた阪口夢穂の社長力「バランサーとしての経験が、今の仕事でも生きている」 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Noriko Hayakusa

【「セカンドキャリア」なんて呼ばない】

 サッカーとの関わりは、普及イベントという形で続いている。ともに世界と戦った盟友たちとのサッカーイベントは、いつ見てもとても楽しそうだ。

 そんななかで、阪口さんが違和感を覚えているのが「セカンドキャリア」という言葉だ。

「セカンドキャリアという言い方、あんまり好きじゃないんですよ。誰がセカンドって決めたん?って。これ(人生)は繋がっていくものですよね。結局、サッカーでやってきたバランサーとしての経験が、今の仕事でも生きているし、プライベートでも基本バランサーなんです。だから、全部が繋がっているんです。どっちが上とか下とかもない。ただ、やることが変わっただけだと思っています」

 今の環境や状態については、「ちょうどいい」という言葉を選んだ。

「個人としては、週末にみんなと同窓会的なサッカーイベントをできている今が、言うことないんです。今がベストバランスなんですよね。だから正直、今望んでいることがなくて、逆に怖いくらい。ただ、向上心や学びたい欲はまだあるので、勉強したいと思うような流れがきたら、また学びモードになると思います。言うとすれば『なるようになる』ですかね」

 会社の将来についても、すでに視線は次の世代へと向いている。

「ゆくゆくは、この会社も弟が現場好きでタンクローリーに乗っているので、ある程度整えたら弟が代表になってもいいな、という願いはあります。管理業務を最小限の作業で終われるように整えてあげられたら、楽になるかなと思っています」

 紙とFAXが今も飛び交うアナログな業界だと話すなかで、次の世代へどうバトンを渡すか。その道筋を、地道な事務作業と資格取得という「力試し」を重ねながら、阪口さんは自分なりのペースで描き続けている。

【変わらない実行力】

「自分から望んでやったこと、多分一個もないと思いますよ」

 家業を継いだのも、代表取締役になったのも、突き詰めればすべては「求められたから」だという。

「家業だって、たまたま家が会社をやっていたから転がり込んできたような話です(笑)。『手伝って』と言われなかったらやってなかった。でも、与えられたからには100%以上で返しますよ!」

 思えば現役時代も同じだった。ポジションも、役割も、チームから与えられたものに全力で応え続けてきた。サッカーから離れてからも、「バランサーをやってほしい」と求められれば家業を支え、「サッカーイベントに出てほしい」と言われれば120%の力で楽しませる。与えられた役割を面白がり、期待以上で返す----その実行力は、サッカー選手時代から一貫して変わっていない。

 そんな阪口さんが、唯一「自分から望んでやったこと」として挙げるのが、前述の資格の勉強だ。

「確かに、勉強は望んでやっていました」

 家業も、代表取締役という肩書きも、「与えられたもの」。しかし10個の資格だけは、誰に頼まれたわけでもなく、自分の意思で積み重ねてきたものだった。与えられた役割を100%以上で返す実行力と、自ら欲して学び続ける探究心。一見地味な「事務作業」や「連絡係」の裏側には、このふたつが静かに息づいている。

「なるようになる」----サッカーのピッチで培ったその言葉は、今、経営者としての阪口夢穂を支える、確かな指針になっている。

Profile
阪口夢穂(さかぐち・みずほ)
1987年10月15日生まれ。大阪府堺市出身。
スペランツァF.C.高槻→FC ヴィトーリア→TASAKIペルーレFC→FCインディアナ(アメリカ)→アルビレックス新潟L→日テレ・東京ヴェルディベレーザ→大宮アルディージャVENTUS(現RB大宮アルディージャWOMEN)
日本代表としては、ワールドカップに4大会、五輪に2大会出場している。2011年のドイツW杯で初優勝を経験し、翌年のロンドン五輪では全試合に出場し、準優勝に貢献。2015年のカナダW杯でも準優勝という結果を残した。2022年に引退し、2023年からは家業を継いでいる。

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